第1707話 ■美食家の憂い

 「美食家の憂い」なるものについて考えてみた。自分の金なのか、他人の金なのかは分からないが、端から見れば、いつも美味しいものばっかり食べていて、さぞ幸せな身分だと思えるが、実際はどうなのだろうか?。絶対音感を持つ人の憂いというのもあるのではなかろうか?。

 まあ、そんな大袈裟な話ではなくても、味覚や音感に敏感になってくれば、いろいろとまずいところが気になりだしてくるのではなかろうか?。例えば、ちょっと美味しいくらいでは、美味しいと感じなくなったり、ちょっとずれた音が異常に気になったり、それに嫌悪を抱いたり。

 少々目や耳が肥えたり、舌が肥えたりした一般人も、これまでとの折り合いという点では面倒かもしれない。ほんの瑣末なことだが、私も最近落語においてこんな感情が湧いてきた。最初の頃はそれこそ新鮮で、二ツ目であれ、誰が口演していても、とても楽しめたのだが、ここ数ヶ月に至っては、たとえ真打であっても、面白くないものは面白くないし、少々まずいところが非常に気になるようになってしまった。下手なものを見せられると、腹が立つ。手を抜いている感じも分かるし、それはもってのほかだ。

 まさに玉石混交。これからも私が落語を見続けていくには、こんなことを気にしてはいられないことだろう。美食家の場合はどうなのだろうか?。不味いのも含めて、分からないものを口にするか?。ただ、美味いものだけを口にしてはいられないとすると、美食家の憂いというのも確かにあるだろう。味覚が鋭いだけに、苦痛となる場合もあるだろうが、それこそ味を言葉で表現する以上に表現が難しいことだろう。

 一般人には分からない、表現が難しい点も含めて、美食家の憂いというものが存在する。それを考えれば、美食家というのも結構不幸なのかもしれない。落語のどうのこうのなんて、それに比べればお笑いぐさだ。

(秀)