第1760話 ■元教員という肩書

 私がまだ田舎に住んでいた頃、地元に地方新聞があって、その新聞は地元では大手新聞を抑えて、圧倒的なシェアを誇っていた。習字や遠足の敷物として、学校に新聞紙を持ってくるときには、誰もがその新聞を持って来ていた。別の新聞を取っている家でも、大抵はこの地方紙と合わせて2つ取っていた。

 その新聞は地元密着を旨とし、今となって遠目に見ると、視野が狭く、内輪にこもってこじんまりとした感じは否めない。このことが、あれこれ悲観的にものごとを考えがちな県民性に大きく影響しているように私は思う。例えば、毎年高校野球の甲子園出場校が決まった際も「どうせ一回戦で負けて帰ってくる」と諦めムードである。それでも数年前の夏の大会では「がばい旋風」で優勝を果たしているのだが。

 さて、そんな話はさておき、新聞には読者からの投書欄というのがある。冒頭の地方紙にもあったし、その他の新聞にもきっとあることだろう。そして、そこに投書してくる人はある種固定化していると聞いたことがある。当時、世間にモノを言うメディアとしてインターネットがあったわけでなく、新聞は貴重なメディアだった。しかも地域密着の新聞となると掲載される確率も高くなるだろうし、周りの反応もつかみやすかったのではなかろうか?。

 それほど興味があるわけではないが、地方紙は新聞自体が薄いので、投書欄まで見てしまう。そこには投書の内容と氏名や肩書が掲載されていた。肩書きは、会社員、学生、主婦、無職。それに土地柄、農業なんてのも登場した。そして私が注目していたのは、「元教員」という肩書きだった。無職でも良さそうではあるが、敢えて元教員と書くところに本人のこだわりがあるのだろう。投書の内容を見てもそれほど立派なものではなく、薬にも毒にもならないような、当たり前のことがやや不満や怒りをこめて書いてある程度だ。一言居士とでも言おうか。

 「元教員」という肩書きを担ぎ出す理由がよく分からないが、教員であった頃に周りから立派な人として認められていたことを引きずっているのだろうか?。はたまた常識人として主張していることを裏付けるために肩書きを利用しているのだろうか?。今風に言えば、上から目線のような気がして、どうも鼻につく。

 家人と結婚するときに、先方の親戚を紹介された際、ある隠居爺さんの出した名刺に「元市議会議員」という肩書きがあった。そしてその爺さんは私に「お勤めはどちらですか?」と聞いてきた。この人は人を肩書きや勤めている会社で判断するような人なんだと思った。学校の入学式や卒業式に「元○○議員」なんて肩書きで祝電を送ってくる人もいる。特に、卒業生とかでもないのに。肩書きに、しかもかつての肩書きに恋々とするのは、どこか虚しい気がする。

 定年後に急に一人ぼっちになってしまった会社員なんてのも悲しい。特に無趣味だと。さすがに「元○○会社 部長」なんて名刺を持ってたりはしないだろうが。とりあえず私は「コラムニスト」という肩書きの名刺をプライベート用に持っている。一個人として、たぶん生涯現役のコラムニストだ。

(秀)