第1990話 ■モギリの貴婦人

 銀座から東銀座を過ぎ、さらに晴海通りを勝鬨橋の方向に向かう。かつてこの通りの左側に松竹系の洋画館があった。松竹セントラル。今はでっかいビルになっている。そしてその向かい側に、東劇という映画館がある。正式名称は東京劇場と言うらしい。そのビルの上部は松竹の本社である。

 かつて、会社での仕事終わりに一人でぷらりと映画を見て帰るようなことをやっていた。単館でしかやらないような映画を中心に見ていた。やがてその行き先が落語会となって、その返り道映画の習慣はなくなった。代わりに週末にシネコンまで車で出掛けるようになったが、今ではほとんどの作品がDVDになるし、ネット配信が行われるので、映画館で映画を見る機会はすっかりなくなってしまった。

 かつて東劇には一度だけ、帰り道映画で訪れた。見た映画は「深呼吸の必要」だったと記憶している。今でも好きな邦画の一つだ。平日の夕方、それにちょっと街から離れた場所のため、館内は空いていた。

 松竹はいろいろとお家騒動があった会社だが、同族経営の色濃い会社だった。そんな中、映画館のモギリのおばさんは胸にその一族の名字の名札を付けていた。それほど世の中に多い名字ではない。年齢的には還暦を超えたあたりか、品のある感じの年配女性だった。この貴婦人が社長夫人や会長夫人でありながら、現場を常に気にしていて、こうして受付でモギリをしていたら面白いなあと思ったが、実際にどうだったかを知る術はなかった。

(秀)