第243話 ■ネットバブル

 私が大学で経済学を学んでいるときに、世はまさにバブル経済の真っ只中であった。その頃に「バブル」という言葉はなかったが、この経済事象についてはゼミなどでも検討を行ったりした。一般に一国の経済成長を計る指標としてはGNP(国民総生産、今ではGDP=国内総生産)を使用する。この指標によれば、その値は間違いなく、伸長している時期であった。しかし、「価値の源泉は何か?」という観点からこの事象を見てみれば、この指標の伸長が異常であることは、バブルが弾ける前から予測出来ていた。

 「価値は労働により、生産物を生産することで発生する」。これが出発点である。生産を伴わない労働では価値の発生は有り得ない。流通は価値の移動でしかない。流通により利益を得ることは可能であるが、誰かが得をしていれば、誰かが損をしていることになる。麻雀を例に取ると、四人の中でお金が動き、儲かったり、損をしたりする人がいるだろうが(掛け麻雀はいけません)、四人の所持金の合計が増えることはない。経済活動が流通のみであれば、本来は国内の価値の総和は増えることがない。

 昨日まで100万円だったものが、今日は200万円ということが本当にあった時代である。すると、その差額の100万円はどこから生まれたのだろうか?。不良債権として今頃になってみんなで支払っているような気がする。また、あのころ高騰したものは生産活動によって作り出されたものではないものばかりだった。土地も証券も。逆に生産活動によって価値の裏付けのあるものはそう易々と高騰するようなことはない。

 皆さんも良くご存知であろう、ネット長者の某氏がテレビでこんなことを言っていた。「(今のIT産業の状況を)バブルだ、バブルだ、と言う人はいますが、自動車産業でさえ100年前はそう言われていたんですから。間違いなく二一世紀はインターネットの時代です」。私が思うに、彼の話は半分当たっている。確かに自動車産業も100年前はそんな感じだったかもしれない。しかし、自動車は生産物である。これから数年間にインターネットをめぐる経済環境は大きく発展するだろう。しかし、インターネットは物を作ることも畑を耕すこともしない。新しい価値の創造なく、誰もがハッピーになれるような夢のような世界があるとしたら、それはバーチャルの中にしか存在しない。