第249話 ■小遣い

 PTAのクラス懇談会の場で、「子供の小遣いについて」、母親から質問が出ることがある。「みなさんのところはどうですか?」というものだが、その中の先生の話を学校の指導だと思って、ありがたく承って来る人が同じ屋根の下に住んでいたりする。先生が「(小学)1、2年生の間は小遣いはあげなくても良い」と言ったそうで、子供達はそう説得されていた。小遣いがない代わりに買い物について行けば、好きなお菓子をそれなりに買ってもらえることにはなっている。

 先生の話はまさにありがた迷惑な話だ。小遣いの額なんか、各家庭の判断に任せて当然の話である。同じ学年でも担任が違えば、別のルールになっているかもしれない。それ以上に、先生の話を真に受けて子供達に悪しき平等を広める親にも困ったものだ。家庭により、小遣いの額に凸凹があるのは当然のことである。もし、これが子供ではなく亭主の小遣いだったらどうするんだろう。「周りの家庭、みんな3万円ですって」。しかし、調べてみるとそんなことはなく、実は女房の狂言で値切りのテクかもしれない。

 私は子供が小さいからという理由での「小遣い不要論」には、反対である。私が小さいときには家庭は貧しかったが小学生のときに毎日100円もらっていた。もちろん、何に使うかは勝手で、しばらくため込んで、子供にとってのでかい買い物もできなくはないが、だいたい毎日遣い切っていた。しかし、大事なことは自らの意志で判断し、お金を使うことを子供の頃から身に付けておくことだと思う。散財もときには後悔し、そこから何かを学びとることができれば、それもまた勉強である。親に買ってもらってばかりでは金銭感覚が発達しない。私は以前からも買い物の際に子供にお金を渡して、実際のお金に触れることや物の買い方を教えて来た。一方、一番良くないのは不定期に言いなりになって金を渡すことである。

 私はこの意志を貫くために、身銭を切って子供達に小遣いを与えている。我が家には、(反社会的なことを除き)自分の小遣いは何に使っても良い、という不文律があるため、妻も私が自分の小遣いから子供達に小遣いを与えることには文句が言えない。とりあえず、4年と2年なので毎月500円ということにしているが、これにはちゃんと25円、消費税分もあわせて、525円ずつ渡している。この25円もまた、社会生活の重要な学習材料だと信じている。