第816話 ■太陽を盗んだ男

 このタイトルの映画をご存知だろうか?。沢田研二主演で、’79年に公開されている。いつ頃だったか、私はこの映画をテレビ放送で見た。犯罪映画である。犯罪者を主人公にした映画やドラマがしばしば作られるのは確かだが、ちょっとその規模が違い過ぎる。この頃はこの他にもこの規模の犯罪映画が作られている。私がそう意識しているだけでも「新幹線大爆破」、それに「皇帝のいない八月」。いずれも敵は国、政府である。当時、世間がこのような映画に寛容だったことに今改めて驚く。

 「新幹線大爆破」は東海道新幹線の車両に一定速度まで車両の速度が落ちると自動的に爆発する爆弾が仕掛けられている。映画「スピード」のモデルになったのではないかと言われている(あっちはバスだった)。今思えばテロ映画である。既に走り出した新幹線は途中駅に止まることもできず、博多駅へと刻々と近づいていく。犯人は姿を見せず、新幹線の司令室にゆすりを掛けてくる。その犯人を高倉健が演じていた。もう一つの「皇帝のいない八月」は陸上自衛隊によるクーデターの話。九州から寝台列車に大挙として乗り込み、途中この車両を乗っ取る。これらの映画は最終的には国家・警察権力が勝利し、犯人達の計画は叶わず逮捕、拘束される。予定調和のストーリーであるが、テレビの刑事ドラマとは比較にならないほどの迫力があった。

 昨年の9月11日以来、全世界的にテロや戦争に対する反対ムードは続いているはず。しかし、勧善懲悪の構図ながら当事国のはずのハリウッドの映画ではテロを扱ったものや派手な爆破シーンなどが出てくる映画が引き続き作られている。確かにあの事件直後、放映延期になったものもあったが、さっきも対テロを扱った映画の宣伝をテレビで流していた。このような映画は戦争を早期に終了させる手段だったと原子爆弾を肯定するアメリカの一貫したポリシーから派生したものの一つであろう。

 さすがに「太陽を盗んだ男」も「新幹線大爆破」も「皇帝のいない八月」も最近はテレビで放送されることがない。この映画を作った人々はこの映画を通じて世に何を訴えたかったのだろうか?。最後に悪はやられる、ではなく、国家権力の脆さを示すことがこの映画のメッセージだったのか?。

 ところで、「太陽を盗んだ男」の結末は前述の2作品とは大きく異なる。沢田研二演じる中学校の理科教師が原子力発電所からプルトニウムを盗み出す。そして、それを材料に原子爆弾を作り、原子爆弾を保有していることで政府にゆすりを掛ける。迎え撃つ刑事に扮するは菅原文太。これまたとてつもない規模のテロ映画である。最後のシーンでは原子爆弾は仕掛けられたまま、カチカチと時を刻む時計の音がし、画面が暗転するとともに、爆発音を上げ、映画は終わる。こんなショッキングなエンディングを迎える映画を私は他に知らない。

 57回目の広島の熱き夜に記す。

(秀)