第939話 ■京葉線通勤快速途中停車

 受験シーズン真っ盛り。勉強の追い込みの傍ら、健康管理に気を遣わなければならないこんな時期の受験というのはいつ思っても過酷なものだ。このために上京した受験生なんか、試験当日に会場にたどり着くだけでその日のエネルギーの40%ぐらいは使い果たしてしまうのではなかろうか?。それほど、アウェーにはハンディキャップがある。

 二日ほど前の新聞に試験会場に向かう女子中学生が逆方向の、しかも通勤快速電車に乗り間違えたが、JRが温情でその電車を途中の駅に停車させたという記事が載っていた。ちなみにこの京葉線通勤快速電車は30数分にわたって停車しない。乗り間違えたことに気がついて泣き出しそうになった少女を見て、周りの乗客がその少女を満員の車両の中、車掌のいる最後尾の車両まで連れて行き、車掌と交渉したらしい。結果、その車両を停車予定ではない駅に停車させ、車掌室の扉から少女を降ろした。

 この記事はいくつかの複数の新聞で取り上げられていたようだ。記事として書くからにはそれなりに書く側の意志があるに違いない。この記事に登場してくる様々な人々を自分に置き換えてみた。もし、自分がこの電車の車掌だったら。規則通り、少女をなだめこそしろ、規則から逸脱して電車を止めることができたか、疑問である。サラリーマン根性が身に沁みてしまっているようだ。一方、乗客の場合だったらどうか。「電車は止められないもの」という固定観念から、車掌と交渉してみるという気も起きなかったろう。ましてや、満員電車の中を移動してまでは。

 今回の記事はJRを称える内容のものだが、私は一番の立役者は周りの乗客たちだったと思う。車両の中にで混在した中を移動して、「何だよ!」と嫌がられたりしたことだろう。これは私の想像であるが、目の前で自分の娘と同じ年格好の少女が泣き出しそうになったら、居たたまれないだろう。もしそうだとしたら、私もその瞬間、この少女のために何とかしてやりたいと思うかもしれない。ちょっと勇気を貰った。朝、寝ボケ眼で、疲れきってつり革に掴まっているお父さん達にもそれぞれの家族があり、他人でありながら、その他人のために一生懸命になってくれる人々の存在を感じ、うれしくなった。固定観念の打破と説得力。

(秀)