第2057話 ■「課題の分離」と今年の目標
アドラー心理学の本の中に「課題の分離」という言葉が出てくる。自分の身の周りで起きている様々な障害や課題が本当に自分の課題なのか、実は他人の課題であることを含めてはいないかと問い質す。その選択によってもたらされる結果を最終的に引き受けるのは誰か?、これにより誰の課題かをまず判別する必要がある。
例えば親子間において、子どもが勉強しないのを、親のせい、親の躾のせいと考えることが多いだろうが、結局その選択によってもたらされる結果を最終的に引き受けるのが子ども自身であれば、それは自分(親)の課題ではなく、子どもの課題ということになる。親子や家族の関係においても、他者の課題は切り捨てるべきで、あらゆる対人関係のトラブルは他者の課題に土足で踏み込むことで起きる、とされている。
要は自分の課題ではないことに踏み込んだり、それまでも解決しようというところで人間関係のストレスが生じていることになる。と言うことは、自分の課題でない部分には手を出すべきでない、自分では解決できない部分に時間やエネルギーを掛けるのは止めよう、ということだと私は理解した。まあ、そうきっぱりと割り切れないことは経験済みだし、それ故か、人間関係のストレスから解放されることが難しいのも確か。
さて、年も改まり、今年の目標なんて考えた人も多いのではなかろうか?。例年であれば私もこの時期には決めていた。ところがこのアドラーの説を知ったことと、昨今のコロナ禍の状況により、今年は明確な目標が立てられていない。目標を立てることがその達成のためには重要であることは承知しているが、今はどうも難しい。
こういうことだ。仕事の数字的な目標を定めようにも、コロナの影響により見通しがなかなか立たない。コロナの収束は他人事ではないが、「課題の分離」という視点では、自分の課題の範囲ではない。昨年の様に、目標がことごとく未達の状態、予定変更では、そもそもの目的による動機付けの効果も吹っ飛んでしまう。コロナ禍が収束したら、しなかったら、いつまでに~?。条件の分岐があまりにも多すぎる。
とりあえず私は、「臨機応変に対応力を増す」という何とも中途半端というか、成否の判断基準も曖昧な目標を据えるしかなかった。年次目標と言うよりも、人生のあるべき姿として備えておきたいレベルのことだ。再考、やり直し。やはり、成否の判断基準がないものは、具体的な実践項目も立てづらい。アドラー博士ならこんなとき、どんな目標を掲げるのだろうか?。「人により課題が違うから、参考にならないよ」とでも言われるのかな?。
(秀)
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