第2086話 ■喜びも悲しみも幾歳月

 昭和50年頃の話である。私が小学2~3年生の時、近所に2つ年下の少年が引っ越してきた。「やっちゃん」と言う呼び名はよく覚えているが、苗字や名前は思い出せない。記憶力には自信があって、特に昔のことほど良く覚えているはずだが、どうしても思い出せない。痩せた小柄な少年で、両親と妹の四人家族だった。

 ある日、彼の母親がやっちゃんと一緒にうちに、「さんすうのプリント」が分からないと訪ねてきた。算数とは言うものの、なぞなぞみたいな問題で、大人の方がむしろ分からないような問題だった。答を教えてあげると、おばさんがしばらく後にグリコのプリッツサラダ味をお礼にと届けてくれた。(こんなことも、さんすうの問題の内容まで覚えているけど、どうしても彼の名前が思い出せない)

 またある時にはこんなことがあった。一緒に数人で遊んでいるときに、近くの文房具屋にお遣いを頼んで、おつりのうちから、10円だか、20円だかを駄賃のつもりで彼にあげた。すると同日、彼の母親がやっちゃんと一緒にうちにやってきて、「こんなお金をあげることは良くないこと」と諭され、そのお金を返された。いつも持ち合わせていないお金をやっちゃんが持っていたので、問い詰められたのだろうか?。今となっては、彼にちょっと悪かった気がした。

 普段は彼のことなんか忘れている。けど、彼のことを思い出すトリガーがある。まだ彼と親しくなる前、引っ越してきてから間もない頃、彼は「おいら、みーさきのー」とある歌を口ずさんでいた。程なくしてそれが、映画「喜びも悲しみも幾歳月」の主題歌であることを私の父が教えてくれた。どうして彼がこの歌を口ずさんでいたのかは分からない。この映画が公開されたのは、その時でも20年くらい前だったし、この映画を見ていたはずはなかろう。自分もこの映画はちゃんと見たことがないが、この映画のタイトルは今でも彼のことを思い出すトリガーになっている。

 やがて、2年くらい経った頃、彼の母親が入院し、間もなく亡くなった。そしてしばらくしたら、3人となった彼の家族は引っ越して行った。どこから越してきて、どこに越して行ったのかも分からない。その先、どんな生活したんだろうか、苦労したんだろうか、とかちょっと考えてみた。もちろん分からない。「喜びも悲しみも幾歳月」と言う文字が、妙に何かを暗示していたかのようにも思える。三丁目の夕日、みたいな話。

(秀)