それは、’76、7年頃の話だったと思う。テレビで軽快なステップを踏む黒人の少年が現れた。クラリオンという音響メーカーのCMに出ていた彼、エマニエル坊やの人気はCMが流れるや爆発し、母親とともに来日して、テレビに出る一方で、「リンリン、電話がほにゃららー(「ほにゃららー」の部分は筆者の失念によるものではなく、著作権の関係でごまかしている)」と日本語で「シティコネクション」という曲を出すまでのブームとなった。彼のいでたちはオーバーオールにスタジアムジャンバー、頭のキャップはひさしを上に曲げてかぶるのがおきまりであった。愛くるしいドングリ眼(まなこ)も重要なキーポイントの一つとして忘れることができない。

 その後、彼をめぐって、「注射で成長を止めている」や「今も小さいままである」などという、色々な噂が出まわった。そして、ブームが下火になってからだった思うが、友達が私にエマニエル坊やのジグソーパズルをくれた。何故くれたのか、何故もらったのか(私はジグソーパズルはやらない)は分からないが、くれたのが吉田君だったのははっきり覚えている。箱の横には彼の身長、体重、生年月日などのプロフィールが印刷されていた。詳細は覚えていないが、彼は’70年頃の生まれだったと思う。

 彼ももう年の頃は30歳になるはずだ。ちょっと前になるが、「あの人は今」のような番組で、彼はアメリカで実業家になったと近況を報じていた。たいそうなお金持ちだろう。カーワックス会社の社長として働いている彼の姿がテレビに映し出されると、あの当時よりは大きくなってはいるだろうが、やはり背は小さいままで、ドングリ眼も昔のままだった。さすがに、顔は老けて坊やと呼ぶにはやや違和感のある風貌であった。

 かつてのブーム当時は彼もこのようにもてはやされたが、人種問題がシビアになり、「サンボ」の本が街角から消えた今日、彼をテレビに出して面白がることなど到底許されないことだろう。「ブラックユーモア」と言っても洒落にならないだろう。そういう意味で彼は時代の産物であった。