人は憶測でモノを言う。そういう自覚がない人こそ、そうしているし、他人からの情報についても適正なフィルタリングが働かなくなっている。例えば、私が会社勤めをしていた頃の話。ある仕事の進捗がうまくいっていないことを上司に報告した。「原因はこれこれです」、と言ったところ、「それは事実か?」と聞き返された。そして、「一旦話を整理して、何が事実かをはっきりしよう」と言われた。憶測はとりあえず不要で、このため事実と憶測の切り分けを求められた。事実は極めてシンプルで、そこからのリカバリー案を一緒に考えた。

 とかくうまくいかないことがあると、誰かしら他人のせいにしがちである。そしてその理由を自分の勝手な憶測で付加してしまう。そしてそれを原因と考え、口にする。ある意味、これらを無意識に行っているので、それが誤った思考であったにしても、なかなかそれに気がつかない。そこでもう1つ、別の上司とのやり取り。ある報告について、その理由を求められた。「これまでも、そうしていました」と言うと、「そういうことではなくて、これまでがおかしかったかもしれない」と返された。

 人の思考や行動の大半はそれまでの自分の経験に支配されている。次第に「何故か?」を考えない思考回路が出来上がり、そういう日常を繰り返す。だからこれを自らの気付きで変えていくことはなかなか難しい。外的な、例えば本を読む、とか他人との会話などから教えを受けることは、これらを変えていく上で極めて重要なチャンスだ。そして思考のトレーニング。

 インターネット内で日々生み出されている情報の大半はいくつかの事実があるものの、それ以上の憶測で書かれているものが極めて多い。しかもそれらの文章は巧みにこのあたりがあまり分からないような形で書かれていたりする。ワイドショーやネットでの情報収集が増えて、一方で新聞は読まない人が増えている。ニュースなどをネットで知ることを否定するつもりはないが、同じような格好をした憶測での情報が大量に出回っている。「ネットには事実でない情報も多い」と頭では理解していても、そのような情報に接してばかりいると、次第に感覚が麻痺してきて、違和感なく受け止め、自己の思考回路がそのような方向で強化される人も多いのではないかととても危惧している。

 血液型占いなんて、まさにその典型例。自己チェックする上で、最も簡単な踏み絵だと思う。

(秀)