第100話 ■最終回

 ほんの思い付きで始めた「秀コラム」も早、と言うべきか、やっと、と言うべきか、100回に達した。当初の読者数は二十数名で、とりあえずはこの読者数を抜く回数まではやってみようと、まずは3話分書き貯めたところで始めた。その目標は難無くクリアでき、次の目標を100話連続執筆とした。ついでにその頃には読者数も100人ぐらいいると良いなあ、なんて思ったりしたが、この点は遠く及んでいない。

 「秀コラム」を始めた動機の1つは種々雑多な、けどあまり役に立つことはない記憶を何とか書き留めておきたいということだった。自分では役に立たなくても他人の目には何かしらの役に立つかもしれない、笑ってもらえるならそれも本望、というわけである。記憶の棚卸しというかリサイクルである。そして、せっかくだから、自分にしか書けないような何等かの原体験を交えて書きたいと思った。それはどちらかというと「なつかし」系の話になるが、いざ始めると、記憶を掘り返している一方で、現在進行形の「書きたい対象」がふつふつと浮かんで来る。紙メディアでは感じられなかった、リアルタイムの反応や今日の出来事が翌日には発信できている喜びが、コラムの方向性を当初の予定より若干変えてしまった。

 私がコラムを書き始めて5年近くになるが、当時書いていた媒体は会社が社外に出している広報誌の類であった。創刊号で紙面が余ったことに始まり、その場凌ぎで2回書いたところで、3回目からはフォーマットもそれに決まってしまった(正しくは「決めてしまった」)。その媒体はバージョンアップを重ね、合計四十数話を書いた。会社の発行物のため、あまりふざけたことも書けず、テーマもパソコンに関するものであった。月に1回書けば良いのだが、それなりに大変で何度かは徹夜し、メールで入稿するや次の日は会社を休んだこともある。書き上げることを「脱稿」と言うのだがその度毎に「次はきっと書けないぞ」といつも思った。プロの作家は毎日のように、しかも何回も「書けなくなったら、どうしよう」と思うらしい。お陰でその気持ちも分かるようになった。

 脱稿のタイミングでこれが「最終回なら」と何度か思った。しかしいざその連載が終わってしまうと、何か物足りない。しかも、その最終回はあらかじめ予定されていたわけではなく、半ば喧嘩別れにより連載を下りた形になっている。「さあ、これからどうしよう」。テーマの強制もなく好き勝手に記憶の棚卸しをしようと書き始め、二十数名にメールで送ることから「秀コラム」は始まったのだった。