第102話 ■不自然な電話

 最近はドラマや映画で携帯電話を使用するシーンがかなり増えたけど、演出のため、かなり不自然なシーンが多い。まずは着信するケース。いきなり相手も確かめずに出てしまうが、実際は発信者が誰であるか確認しはしないだろうか。それで、声質が変わったり、電話に出た最初の言葉を考えそうなもんだ。それに、もっと多くの確率で、面白い着メロが流れたりしても良さそうであるが、これもない。これは使用している携帯が自前でないからであろう。いや、ドラマでの呼び出し音の多くはアフレコのような気がする。好みの着メロを入れるでもなく、ストラップを付け替えるでもなく、増してやプリクラを貼るでもなく(たまに演出上、小道具として貼っている場合もあったりするが)、生っぽさが欠けている。通話状態がいつもクリアな状態であるはずもない。途中で切れたり、聞き返したり、「もし、もーし」や「あれ?、切れちゃった」というのをたまには見てみたい。留守電のメッセージを聞くシーンはたまにあったりするが、録音しているシーンにはお目にかかれない。

 呼出音が鳴る前に、振動で電話に出ることもない。しかし、これはドラマを作る側からすればやむを得ないことであろう。ドラマの途中で、突然ポケットを探りだし、電話に出て喋りだすシーンというのは、やはり無気味である。もちろん、長電話もタブーである。また、相手の喋ったことをいちいち声を出して、周りの人や視聴者に電話の内容を伝えなければならないのもしょうがない。「捜査一課。何!、殺人!」。出演者一斉に手を止め、ボスの机に集まる、そんなシーンは刑事ドラマの定石であるが、携帯に限らず、電話がドラマや映画の小道具として登場してから、電話の内容を声に出すのは決りごとになっている。

 携帯電話の登場で原作や脚本の書き方にも少なからず影響が出ていることだろう。「君の名は」のような、すれ違いドラマはこれから後の時代を舞台とするのであれば、二度と生まれないだろう。「マルサの女」のクライマックスシーン。内偵を終え、強制捜査に踏み込む瞬間、数ヶ所を同時着手するために執行官が肩から提げた移動電話で連絡を取り合うところがある。百科事典1冊分ぐらいの大きさに幅広のストラップを付けたようなスタイルである。わずか10年ちょっと前の話であるが、結果として強制捜査の重厚さを伝える上で、大掛かりな移動電話の雰囲気は良かったと思う。携帯電話ではちょっと軽そうだし、ポケベルだったらコントになってしまいそうだ。