第1029話 ■犯罪と日常性

 殺人事件が報道されない日はない。毎日、誰かが殺され、毎日、他殺体が見つかる。その中でも長崎で起きた幼児誘拐殺人事件は世間のショックもとりわけ大きかった。他にも殺人事件は起きているが、それが霞んでしまうくらいに。最初、幼児の死体が見つかった時点で、近所で同様の幼児に対するいたずら事件が起きているとの報道を聞いて、「これは子どもが犯人だな」と私はピンときた。犯人がビデオに映っていた、との報道がなされるよりももちろん前だ。

 未成年者であるがために犯人の顔は基本的には表に出てこない。そのためいろいろと周辺情報が流れる。彼が通う中学校の教頭は期末試験の彼の獲得点数まで具体的に喋っていた。聞かれたから答えたのかもしれないが、その点数をズバリ言う必要がどこにあったのか理解できない。何事も数字で言い表したい、大人の悪癖か。成績優秀であることを具体的に答えたかったのだろう。苦手な教科が何であるかまで話していた。この教頭、ちょっとズレてるかもしれない。

 タブロイド紙が書き立てる。おそらくワイドショーも同じような雰囲気なのだろう。評論家とかコメンテーターとかが差し障りのない無責任なことを語っているのだろう。彼らの話を真に受けてはいけないが、そこから犯人の人となりや動機が伝わってくる。それは本物とは違うかもしれないが、あながち嘘ばかりでもなかろう。そうして伝わってくる彼の姿は、どこにでもいる普通の中学生で、成績優秀、母親に溺愛された一人っ子、となる。彼の精神的な部分にはここでは触れずにおこう。憶測でしかないから。

 今回世間が驚いたのは12歳というかつてない低年齢での凶悪犯罪であったためだ。言葉は悪いが新鮮だったのだ。だからそのインパクトに驚いた。しかしその稀少性ゆえ、どこかで他人事である。同じ時期に沖縄で中学生によるリンチ殺人死体遺棄事件が起きた。本来これも大きな事件だが、長崎の事件のインパクトのため、ここのところ扱いが小さい。けど、同様の事件が今後も起きる確率としては沖縄の事件のようなケースの方が高いだろうし、そういう意味ではこの沖縄での事件の方が私には怖い。もっと言うといじめによる間接的な殺人(自殺への追い込み)の方が更に怖い。

 より日常的な犯罪の方が実は怖い。インパクトがあるものほどリアル感は希薄化する。見た目は普通の中学生。普通、普通と言って、犯人が私達と同じような生活を送っていたことを伝えることで、マスコミは私達を驚かそうとしているのだろうか?。現場や事件報道に常に接することで彼らの感覚もちょっとおかしくなってきているような気がする。

(秀)