第1062話 ■メンコ

 具体的にテレビでCMが流れていたりしたならば、ある程度全国的なブームであったことが分かるが、駄菓子屋を舞台として私たちを取り込んでいったブームは、果たしてそれが全国的なものだったのか?、それとも局地的なブームでしかなかったのかがはっきりしない。これが大手の玩具メーカーの手によるものなら、それらしく記録もあるだろうが、駄菓子屋に卸されている玩具にそれほどの記録もなかろう。

 今回私が話題にしたいアイテムは「メンコ」である。ブームうんぬんはさておき、万人がその存在を知っているアイテムではある。これまた、地域によってその呼び名や形が異なる。私の地方では、かつて「ペチャ」と呼んでいた。叩きつけたときに発する音が語源であろう。この呼称を私は兄から教えられて知っていたが、これで遊んだことはなかった。私の地元のこのペチャは四角く、野球選手や力士の写真、漫画のキャラクターなどが印刷されていて、多色刷りながら、色の重なり具合がとてもいい加減で着色写真のような感じ(最初は本当に着色写真であったかもしれない)であった。1枚の大きな紙に30面ほどが印刷されたまま売っていて、それを自分で切り離して使用していた。

 一方、スーパーカーブームの頃だったから、昭和51年のことだと思うが、突如、我々の目の前に丸いメンコが現れた。最初に私が目撃したのは文房具屋の店先で、図柄はスーパーカーの写真、大きさは今で言えばCDぐらいの大きさだった。それからほんのしばらくの後、今度は駄菓子屋でメンコが売られるようになった。駄菓子屋のメンコはくじになっていて、10円で黒いビニール袋の中に小さな丸いメンコが5枚入っていて、もし当たっていればそのメンコの裏にその等級が印刷されていた。賞品はいずれも大きなメンコで特等はLPレコード程の大きさであったが、厚さは小さいメンコと変わらないため、へにゃへにゃで実戦で使用できるような代物ではなかった。

 たちまち私たちはメンコの虜になった。そのときには既に「ペチャ」という呼称は使われず、誰もがメンコと呼んだ。もちろん、学校にも持っていく。学校の帰り道では駄菓子屋の店頭を覗き込み、新しく入荷したことや特等がまだ残っていることを確認するや、急いで家に帰り、自転車でその店に駆けつけたものだ。私はあまり金を使い込んだ覚えはないが、メンコの勝負で相手から巻き上げて、程なくして大きなゴミ袋一杯のメンコを所有するに至った。しかし今度は逆にその多さゆえ、置き場所に困ってしまい、文字通りゴミ袋のまま近くのゴミ捨て場にこっそり捨てられていたものを泣きながら奪い返しに行った事を覚えている。

 例えばビー玉やコマの類は流行廃りがあろうと、駄菓子屋で買おうと思えばいつでも売っていた。それこそ、非常に局地的な、その学校だけとか、その町内だけのブームが存在し得る可能性がある。しかし、このメンコは市内の駄菓子屋をぐるぐると梯子して買い漁っていたが、いずれでも店頭に並んでいたことから判断すると、そのくらいのレベルではブームが存在したと判断できよう。少なくとも、あるメーカーが存在し、そのとき盛んにメンコを出荷したであろう。しかし、このブームがテレビや雑誌などの媒体で取り上げられた記憶もない。そんなプロモーションなど当時はまだ存在しなかったし、ましてやそんなプロモーションを仕掛けるような大手メーカーの手によるものでもなかった。あれは果たして全国的なブームだったのだろうか?。

(秀)