第1080話 ■周辺記憶という物差し

 結構昔のことははっきりとそれがいつのことか、そのとき自分は何歳だったかを思い出せる。これはこんなコラムを書く上ではかなり重要な要素かもしれない。酒の席なんかでそんな片鱗を披露することがある。ちょっと懐かしい曲が掛かってきた。「この曲が流行っていたのは昭和○年頃ですね」と。そんなことを数曲続けると、驚く人もいればちょっと引く人もいる。

 何もその曲やイベントを個々にいつだったかを記憶しているわけではない。その周辺の様子を思い出し、最終的にそのとき自分が何歳だったか、ということは昭和○年だ、ということになる。ついでに副産物である周辺記憶もネタになる。「同じころ○○も流行ってたね」って。

 ところが最近のこととなるとその物差しが狂ってくる。かつての周辺記憶としての友人の顔などはそれが何年生のときだったかを示す上で重要な決め手となる。しかし会社に入ってしまうと同じようなメンバーと数年間仕事をすることになる。はっきりと何年前かなどが特定できなくなる。微妙に1、2年の差がはっきりしない。

 「Single Collection」とタイトルを付けたMDが40枚近くある。CDシングルからの寄せ集めで構成されている。平たく言えば、ヒット曲集と言ったところか。96年にMDコンポを買ったときから作り始め、インデックスのシールにはその年月を記載している。ところがこの日付を書き忘れたものがある。曲を聴いて、「2年前だか?、3年前だか?」、結構悩むことがある。MDには録音した日時が記録として残っているのでそれを確認して落ち着くことになる。デジタルで良かった。この曲の日付が周辺記憶として重要になったりする。「あの曲が流行っていた頃だったから…」と。

 それ以外に最近のことでいつのことか悩んだ場合は自分が書き残した、このコラムを読み返すことになる。時間の流れは時を追うごとに加速して流れているような気がする。いずれこれらも懐かしい話のネタとして再度コラムに書くことになるだろう。

(秀)