第129話 ■ワイドショー報道批判

 「知る権利」や「報道の自由」と言うと、いかにも反体制的で弱者の味方のような聞こえ方をするが、最近の報道、特にワイドショーの事件報道は下衆な「覗き見趣味」に走ってしまっている。最近は一般のニュースにおいても犯人の周囲には青いビニールシートが張られているのを目にするようになった。ワイドショーでこのような事件を取り上げる様になってから、そうなったような気がする。事件の実況見分となると、ワイドショーのレポーターやカメラマンが警察の車両を取り囲んだり、追いかけたりしている姿がブラウン管に映し出される。犯人(容疑者)の姿を何とかカメラに納めたいわけだが、警察のブロックによりそれがうまくいかないと今度は「知る権利」や「報道の自由」を理由に矛先を警察に向けるようになる。警察は法的手続により公正に公務を執行する責任がある。容疑者が世論において制裁を受ける事態に対しては抗して当然のことだ。マスコミはいつから第四の権力として容疑者に社会的制裁を加えることを許されたというのか?

 本当に視聴者はそのようなことまで知りたいのだろうか?。被害者や加害者のスキャンダルの部分まで引っ張り出して茶の間まで届けることが必要だろうか?。私はそう思わない。モザイクを掛けてまで伝える必要があるのだろうか?。見たいものもある(?!)。「視聴者へ真実を伝える義務がある」と今度は視聴者のせいにする。自分で自分の子供をしかれずに、「ほら、あのおじちゃんが怒っているよ」と言っているのと同じだ。「真実を追求する」権利も義務もマスコミにはない。それは事件に関与した警察と裁判関係者にしかない。「伝える義務」もない。事件の関係者だけが知れば良いことだ。

 全てはワイドショーが良くない。報道をプライドだけ立派なまま、下衆なものにしてしまった。そして今度は、芸能担当のものまで「報道でございます」といった顔を示すようになった。そもそも芸能情報が中心だった、ワイドショーに報道が付加されたため、報道が「覗き見趣味」になったのだと思う。

 もちろんこのような番組を見て、作る側に現状を肯定させている視聴者の側にも責任はある。