第1414話 ■国民感情と量刑
- 2008.01.09
- コラム
福岡の飲酒運転での3児死亡事故の第一審判決が出た。主文は懲役7年6月(「6ヶ月」ではなく、「6ゲツ」というのが、判決原文としては正しい)。3人の命の重さを考えると甚だ軽い量刑だと思うが、これでも法定刑の最大が適用されている。この量刑を軽いと思うなら、そもそも法律がおかしいという話になる。
被告人は危険運転致死傷罪と道路交通法違反(ひき逃げ)の罪で起訴されていたが、結局、危険運転致死傷罪は適用されず、業務上過失致死傷罪とひき逃げの併合罪となった。危険運転致死傷罪の適用をめぐって裁判所はこの適用を退けた。ポイントは危険運転致死傷罪が適用されるほど酔っていたかという点であるが、自動車が運転できない程は酔っていなかったと判断した。事故後に被告人が知人に水を持ってこさせ、それを飲んでいたが、それだけの判断ができたことも、泥酔状態ではなかったとの判断材料にもなっている。皮肉な話だ。
ここで大事なことは量刑は感情ではない、ということだ。近々に導入が予定されている裁判員制度での状況を考えてみた。この場合、多くの一般裁判員はもっと重い量刑を課そうとするに違いない。3人の命とのバランスを考えるだろう。ところが法律は1つの行為に対して量刑を定めているだけで、被害者の数に連動して量刑が大きくなることはない。
マスコミもこぞって刑が軽すぎるという論調で判決を伝えている。私も被告人をかばうつもりなど、さらさらないが、日本の裁判の実態をこの判決を通して知る必要がある。「これだけのことをしたから、このくらいの刑」ではなく、「この罪状が適用されるから、このくらいの刑」という考えで判断しないとおかしな判決になってしまう。検察は控訴したそうだ。危険運転致死傷罪の適用を改めて争っていくことだろう。
ちなみにこの事件の後、昨年の6月からは自動車運転中の業務上過失致死傷は自動車運転過失致死傷罪として、量刑の最大が懲役または禁固で2年間引き上げられている。それにしても、裁判は難しい。素人が本当に裁判員として判断に参加して良いもんだろうか?。そう考えさせられる判決だった。
(秀)
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