第1456話 ■色の呼称
- 2008.03.11
- コラム
年寄りは「緑」色のことを「青」と言う。私の母はまさにそうで、「青い○○を買ってきて」と頼むと決まって緑色のそれを買ってきた。年寄りというわけでなく、私が幼く、母は若かった時からそうだった。あまり客観性のある話ではないが、同じ世代や近辺では問題なく通じていた。ただし、このメカニズムは私には分からない。信号の色が何か影響しているのか?。蛇足だが、私の母の名前は「ミドリ」という。
以前私が会社で社内向けの資料を作成していた頃の話。部数は数百部程度であるが、ページ数が200ページを超えるために、印刷会社に印刷と製本を依頼していた。年に2、3度の改訂があり、その度に刷り直して再配布していた。
印刷会社が持ってくる用紙の見本には「浅葱(あさぎ)色」、「萌黄(もえぎ)色」などとあり、一般には分かりにくい表現がされている。また微妙に違う同じような色見本がある。また用紙会社によって、同じような色でも呼称が違う。ちなみに「浅葱色」とは、うすいあい色。水色で、「萌黄色」は、黄色がかった緑、とある。
さて、ここでの話題はその印刷物の表紙の色である。色々と呼び表すことの難しい色や微妙な違いの加減の色などの中から、私はオーソドックスというか、シンボリックな色を選ぶことにした。一言で簡潔に言い表せる色。但し、インクののりが良い濃さ、明度でないといけない。黄色、ピンク、水色、グレーなどなど。人によって表現が異なる色はいけない。
何故なら、当時社内でのコミュニケーションの主たる媒体は内線電話だった。その印刷物の内容に対する問い合わせなどが電話で入る。そのとき、同じ版を見ながら話しているのかどうかを判別する上で表紙の色が重要になる。中には新しいものの存在を知らずに、古い版を見ている場合もある。もちろん、発行日やバージョンなどの記載はあるが、一瞥するには表紙の色が最も分かりやすく早い。このときお互いの表紙の色に対する表現が一致するように単純な色を使うようにした。そして同じ色や似た色は2度と使用しなかった。
本来は我々は数多くの色を識別できるし、それを表現するための古くからの言葉も持っている。但し、「浅葱色」や「萌黄色」は多くの人が正しく理解できていない。そして実際のコミュニケーションで問題なくやり取りできる色数は思ったよりも少ない。ちょっと悲しい。
(秀)
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