第150話 ■占いは「定説」か?
またおもしろい、生き神様が現れた(正しくは宗教団体でも教祖でもなさそうだが)。「血ではなく、空気が流れている」、「食事はしなくても生きていける」、「風呂にも入りません」。そして締めは「それが定説だからです」と宣う。取材している側もこれはあきれるしかない。街角で突然、交通整理をやりだしたり、駅で何やら壁に向かって説教している(酔っ払ってはいない)親爺ぐらい面白い。付き合いたくないけど、これで視聴率が取れるんだからとりあえず取材のカメラは回っている。最近は事件と言ったら警察官の不祥事とこのライフスペースしかないのでワイドショー的には救いの神かもしれない。ところで不思議なことが一つある。例の尊師(グル)親爺の肩書きは「元代表」だ。今の代表は誰で何をしているのだろうか。
定説とは、客観的で真理と証明されることを指す。にもかかわらず、定説・高橋翁は「選ばれた人にしか分からない」風なことを言う。しかし、占いと言うのも程度の差こそあれ、同じ方向を向いているような気がする。占いが統計学であるようなことを言う人がいるが、それは間違いである。事象を集め、数の分布を見るのは良いが、どうしてその様な結果が出たかを分析して初めて統計学である。ある星座の人の多くのがある特徴を示す結果が出ても(もちろん、そんなはずはあり得ないが)、何故そうなのかを示さなければ統計学ではない。血液占いもそうである。「どうしてそういう占いの結果か?」、と根拠を尋ねていくと、「だってそう決まっている」という結論なら、それは「定説」と同じようなことになるかもしれない。「当たるも八卦、当たらぬも八卦」とはよく言ったものだが、八卦とは漢語であるため、西洋占星術などでこのような言い訳を使って欲しくはない。
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