第1828話 ■作文の恩人

 私がこうして文章を日々書けるようになった遠因は小学校のときに遡る。小学校高学年では、そこそこ作文が得意であった。今でもリズム感の良い文章を心掛けて書いてはいるが、そもそもこの辺りから自然と会得していたような気がする。一時期、大学生の頃には格好を付けて、長い言い回しの文章を書く傾向に陥ったが、会社に入ってからはわかり易い文章をということで、幸いにもその癖からは抜け出せた。

 小学3年生のときに、一人の小柄な女の子が転校してきた。そして、その彼女が3年生のときに書いた、母親に関する作文で衝撃を受けた。私の記憶が確かであれば、「男まさりの母」という原題だったはずだが、今となってはわからない。家事を家政婦さんに任せ、夫婦で仕事をしている、活発な母親の様子が書いてあった。すごく上手い作文だった。何故なら、彼女は教室の前に出て、みんなの前でその作文を読んだくらいだから。

 この時、私は2つの意味で衝撃を受け、そして嫉妬した。上手い!、実に上手い。この頃の私は作文が大の苦手だった。そして2つ目は、作文のテーマになる、ある意味豪快なお母さんの存在だった。それに引き換え、自分の母親には何ら華がない。母の日などに、全員が母親をテーマに作文を書いたはずだが、あいにく自分はどんな内容を書いたのか、他人のことは覚えていても、自分のことは覚えていない。その程度の文章だったと思う。

 2年前に、彼女に同窓会のときに会って、この作文のことを覚えているか尋ねてみたが、本人の記憶はあやふやだった。ただ、同窓会の準備で、学校のかつての文集が出てきて、それにまさにこの彼女の作文が載っていた。やはり良い出来の作文ということで、年次で発行される学校の文集に載っていたのだ。作文の中身は私の記憶とぴったり一致していた。ただ、作文のタイトルは柔らかく「おかあさんのしごと」と改題されていた。先生が気を使っての処理だと思った。

 このときに受けた刺激で、私は小学校高学年ではそれなりの文章も書けるようになったし、作文自体も苦にならずに、ある程度のボリュームのものも書けるようになった。そんなことを思い出し、振り返り、様々な人に感謝。

(秀)