第1844話 ■誤用の許容範囲

 私は、言葉についてはかなりコンサバ、保守的である。言葉本来の意味を大切にし、近年見られる誤用などについては、どうも看過できない。もちろん、自分も知らずに誤用していることもあると思うが、とりあえず棚上げにして。

 「早起きは三文の得」なんて言葉は、早起きを推奨する様に使う人が多いだろうが、そもそもは「早起きしてもせいぜい三文程度の得しかない」という、否定的な言葉だったらしい。「流れに棹さす」、「おっとり刀」、「気が置けない」。いずれも、逆の意味に誤解している人が多いのではなかろうか?。

 「キモイ」や「ヤバイ」なんて言葉を家の中で使うことなど許さない。「ら」抜き表現にも、ややうるさい。相手の言葉を直接指摘して直すことはしないが、正しく返事を返すようにしている。「辛いの食べれますか?」、「辛いのは苦手で、食べられません」。ただ、なかなかこの程度では気づいてもらえない。ただ、面倒な人だと思われるのが嫌なので、付き合いが浅い人にはその程度に留める。

 誤用とは言い難いが、気持ち悪い言葉に「させていただく」というのがある。主に話し言葉で、謙譲の念を込めて使っているのだろうが、やや身勝手な感じがするから、私は使わない。「今度、私が担当させていただくことになりました」って、相手にとっては頼んだ覚えなんてない。自分なら、「今度、私が担当致します」としか言わない。

 そんな中で、私が最も許せないのは、「鑑みる」の誤用である。この言葉は「照らし合わせる」という意味で、「~に鑑みる」という形で使用する。しかしこれが、「考える」をちょっともったいぶった感じのものと思われているのか、「~を鑑みる」という誤用が実に多い。そんな日本語はない。先日も、某民放ラジオ放送局のナレーションでこの誤用が行われていたので、メールで「誤用だ」と忠告してやった。

 たぶん、みんな本を読まないからだと思う。耳から入った言葉を口から吐くばかり。難しい言葉は会話としては伝承されにくい。日本語を学んでいる外国人の方がむしろ詳しかったりする。

 ただ、言葉が時間とともに変化していくことはやむを得ない。「全然」については、必ずしも否定語を伴うのが当然ではなく、そうでない時期もあったと聞く。だから、「全然大丈夫」については、許容している。うっかりしていると、話し言葉として自分も使っていたりする。一方、「普通に~」には違和感がある。「普通に大丈夫」って、どういうことだよ?。何が普通なのかって??。

(秀)