第1847話 ■いずれは駄菓子屋を
- 2016.06.17
- コラム
帰省する度、かつて駄菓子屋があった場所を訪ねてみても、ことごとく廃業していることを確認するだけ、というのが毎度のことになっている。小学校の学区内の駄菓子屋は既に全滅。たまたま私の実家があったところは、学区の端で、3つの小学校の学区のちょうど境目にあったので、しばしばそちらの方まで足を伸ばしていて、そんな中から辛うじて現存する駄菓子屋を1軒見つけていたが、それも数年前の事なので、今度再確認しておく必要がありそうだ。
私が駄菓子屋の現役顧客だった頃は、軽く10軒は通っている店があって、その気になれば自転車で行ける店も加えると、20軒はあった。なくなっていく駄菓子屋の例はいずれも代替わりができないことが原因であろう。かつての駄菓子屋のおばさんもほとんどが亡くなっている年齢になっている一方で、身内にうまく引き継いだ例を残念ながら見ることなく、そこには既に別の建物が建っている。
郷土の懐かしい記憶の整理の1つとして、かつて存在した駄菓子屋のマップを作ろうと思っている。ただ、一人では抜け漏れがありそうなので、都度周りに意見を求めて、完成度を高めていきたいと思う。ここで1つの条件付けがポイントとなる。どこまでを駄菓子屋と判断するかだ。当時は専業の駄菓子屋だけでなく、タバコや釣具も販売している兼業の店もあり、もっと言えば、文房具屋が駄菓子を売っている例や雑貨の片隅に駄菓子を並べている例も相当あった。そんな中、まずは店の敷地面積の半分以上を駄菓子の販売に割いているというのが、現実的な線引かと思っている。
儲からないことが、駄菓子屋が減っている主たる要因だと思う。なら、儲からなくても良い、例え損が出てもそれを吸収できる状態が自分でもできるのならば、いつかは自分で駄菓子屋をやってみたい気がする。例えば、店舗エリアを駄菓子屋にして、奥を自分の事務所とするなど。毎日が無理なら、週末だけの店舗でも良い。夜はかつての子どものたまり場と化す。駄菓子を食べながら、泡を食らう。
街の復興策で、いろいろと思案されている人がいる。かつての日常的な場所が時代に合わずに衰退していった例がほとんどだと思うが、そんな場所に「非日常」的なものを持ってきている例をよく見掛ける。一時的にうまくいっても、これでは長続きしない。私はそこを日常的な要素で復興させるべきだと思うので、例えば駄菓子屋を開店させてみたらと思うのだが。
(秀)
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