第1946話 ■保護者会って?

 千葉県松戸市の小学生女子が同県我孫子市で遺体となって遺棄されていた事件は、彼女が通う小学校の保護者会会長が容疑者として逮捕された。あくまでも容疑者の段階で、容疑は死体遺棄。ただし、逮捕の物的証拠として「DNA型が一致(一部報道では「酷似」)と報道されている。近所に住む人々の声を取材するまでもなく、その衝撃はとても大きかった。

 容疑者が少年補導員でもあったことで、テレビでは、松戸市長や市教育委員会も取材を受けて答えていた。事件後も「保護者会会長」として、日々の児童の登下校の見守りをしたり、今月の小学校の入学式では来賓として挨拶をし、遺族の帰国費用支援の募金まで呼びかけていた。犯行に至った心理や動機がわからないのはもちろんだが、犯行後も平然とこのような活動を続けていた心理が余計にわからない。

 今回の事件について、マスコミ的には「保護者会」と正しく表現している(一部、間違っているメディアもあるが)が、ネットへの書き込みやコメントでは、一部「PTA」と表現しているものもあり、この表現は正しくない。「(双方に)厳密な区別はない」などという無責任な紹介をしたサイトも有る一方、この誤ったサイトを引用している例さえある。しかし、この2つ形態には大きな違いが存在している。

 いずれも目的や活動内容は似つかわしいが、組織の成り立ちが違っている。PTAは全国組織を頂点に、県や市などにも組織(県P、とか連Pとか呼んでいる)が存在し、各学校のPTAの執行部からのメンバーより役職者を選出し、それぞれの単位組織で会長、副会長、書記などがいる。上位組織が活動方針などで下部組織を縛るようなことはなく、それぞれの学校のPTAは独立した存在であることは認められている。財政的な面で言えば、各学校のPTAには会員数に応じた負担金、「上納金」がある。

 PTA組織ができたのは、終戦後、GHQの命令でできた、と私が小学校のPTA役員をやっているときに教頭先生から聞いた。このため、終戦以前からある小中学校にはPTAが存在するのだと思う。一方、戦後に作られた学校では、保護者会はあるものの、PTAではなかったり、PTA組織への加入に向けて活動しているところの話を聞いたことがある。

 他の学校との連携などは大きな目標を達成する上では有効であるが、世間一般が考えているPTA組織のイメージが、もっともっと濃縮された市単位、県単位の組織が存在するとイメージして欲しい。実際がどうであるかはさておき、一般の保護者から見れば、そんな存在と思われるだろう。このような人的な負担と財政的な負担からか、「保護者会」の形態を取るところがあり、事件があった小学校の例もそうだった可能性が高い。

 PTAの全国協議会をはじめ、県P、連Pにとっては、その組織に加入していないにも関わらず、「PTA会長」という表現で報道されることでのダメージがあることだろう。役員決めなどの問題から、何かとPTAに対する風当たりが強い時期に、とばっちりを受けた感じか?。しかし、保護者会だったから起きて、PTAだったら起きていない、という事件ではない。組織が悪いわけではなく、個人が悪かっただけに過ぎない。組織の不具合と事件は全く関係ない。ただ、インパクト的には「保護者会会長」とか、間違っていても「PTA会長」という表現にフォーカスしてしまう気持ちはよく分かる。正確性よりも感情・インパクトが重視されているってことで。

(秀)