第393話 ■酸っぱい葡萄
ものごとが自分の思い通りにいかないことが多いのは世の常である。多分に思い描くことがひいき目で、阻害要因などを避けて計画してしまうことが原因であろう。さて、物事がうまくいかないとなると次に人々はどうするか。ある者は別のものにそのターゲットを移し、アプローチを開始する。第一志望がダメなら、第二志望に、あるいはそれを繰り返す。ただしこれは、同じカテゴリー内で解決するものばかりではない。家が買えないとなると、代わりに車を買って満足を満たそうとするような例もある。またある者は全面的にその目標を取り下げ、逃避してしまうかもしれない。
結果として、満足が得られれば良いかもしれないが、人は最初にうまくいかなかったことに理由付けをしがちだ。その中に「酸っぱい葡萄の理論」という心理学の用語がある。高くて届かないところに葡萄があるが、その高さ故に葡萄を取ることができない。すると、「あの葡萄はどうせ酸っぱいに違いない」と決め付けて、自らの不満を自分の責任から切り離そうとする例えである。あきらめのための理由付けでもある。
恋愛に関して考えてみよう。自分の思いが相手のせい(実は自分のせいだったりもするが)で叶わなくなったとしよう。中には「もっと良い相手を見つけて、見返してやる」と思う人もいるし、極端な例では「自分を捨てた相手が不幸になれば良い」と思う人もいる。これでは、酸っぱいどころか腐ってしまえと願っているようなものだ。しかし、こんな場合に限って、別れた相手が幸せになったりする。何故なら、最初の願望が叶わなかったことに対し、続けて自分に都合の良い願望(ここでは「自分を捨てた相手が不幸になれば良い」ということ)を重ねているにすぎないからだ。
うまくいかなかったのは葡萄が酸っぱかったわけではないはず。
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