第432話 ■不徳

 改めて日本語は難しいものだと思う。かと言って他国語が簡単だというわけではない。「遺憾」という言葉がある。これは「残念」という意味でしかない。頭を垂れて「誠に遺憾に存じます」と言われても、結局は詫びてはいない。当事者でありながら、他人事の様に振る舞い不快感だけが残る。「そんなことではイカン(遺憾)」と、怒っているオヤジもいるだろう。あーっ、書いていて恥ずかしい。

 同様によく分からない言葉に「不徳」というのがある。言葉の意味としては「徳がないこと」と辞書で紹介されている。具体的な文例として「不徳のいたすところ」として使用する。さて、解釈。「徳」は「心が正しく、りっぱであること」らしい。よって、不徳も意味としては理解できる。ところがこいつが「いたすところ」というのが分からない。

 更に解釈。「不徳の」の「の」は主格を表す助詞である。よって「は」や「が」に置き換えられる。「いたす」は「する」の謙譲語である。よって、「不徳がしました」という訳になり、ここで再び「不徳」という言葉が分からなくなってしまった。「不徳」が行為の主語になってしまう。まるで人間のように。「不徳がしました」では出来の悪い子供に代わって詫びている親のようだ。どうして、「不徳でした」という分かりやすい言葉にならないのだろうか?。せめて、「私の不徳のいたすところ」ではなく、「不徳な私のいたすところ」の方がまだ分かりやすい。

 まあ、文法的な解釈はどうあれ、「不徳」は「いたす」もの。「残念」ではダメでも「遺憾」なら何となく格好が付いてしまう。そして、結局は「私が悪いわけではない」という気持ちで、ついつい使ってしまうのだろう。しかしこれは一般社会では効果が無い。「遺憾に存じます」、「(私の)不徳のいたすところです」と詫びたところ(本当は詫びていないのだが)で、これが一般企業のお詫び会見で出て来たとしたら、かえって反感をかってしまう。多額の公金の横領やこれから拡大しそうな汚職事件と、本当に「徳がない人ばかりで残念だ」と思っているのはこっちの方である。

(秀)