第629話 ■価値尺度機能と値頃感

 大学で「貨幣の機能」というのを習った。マルクスは世の中に存在する富が資本主義社会では商品の形で存在することに着目して、「資本論」はまず「商品」の分析に始まり、「貨幣」の分析がこれに続く。貨幣もある特別な商品の一つでしかない。

 貨幣の機能は3つある。誰もが最初に思い付く「モノを買う」というのは「交換機能」として2番目に紹介されている。それよりも以前に、最初に定義されているのは「価値尺度機能」である。モノそれぞれに「○円」と値段が付いているのは貨幣の価値がその商品の価値(交換価値)のものさしとして使用されているからだ。モノを買う、買わないに関わらず、価値は存在する。これこそまさに交換以前の貨幣の機能である。面白いことに貨幣の第一の機能はその貨幣の実体がなくても機能する。ちなみに3番目は「支払機能」である。

 モノの価格を決定する要素は複雑である。原価に利益を加えたものだったり。しかし、単に材料費や手間賃を積み重ねただけでは市場では受け入れられない。欲しいモノも相応の価格とのバランスで購入意欲が湧く。実際の値頃感で市場価格を想定し、逆にそれに見合った材料費や手間賃を調達することが求められる。デフレ期には尚更その努力が欠かせない。

 さて値頃感であるが、これは水平方向と垂直方向との相対的な位置関係によって成り立っている。同じ商品をできるだけ安い価格で、というだけでなく、同じ価格でできるだけ自分の満足度の高いものを選ぶ。これが水平方向である。同じ価格で買えるものの比較対象物が同じカテゴリーのものである必要はない。パソコンの比較対象がハイビジョンテレビだったり、旅行でも良い。一方、垂直方向は単に安ければ良いというものでなく、多少高くてもそれに見合った、あるいはそれ以上の満足度が得られれば良い。具体的な例としては、新車と中古車の価格比較がこれにあたるだろう。

 買い物の満足感って所有欲の充足と値頃感との見合いによって成り立っているようだ。いくら所有欲が満たされても、必要以上に高く買ったという意識があれば、その分は全体の満足度から差し引かれる。貨幣の第一の機能である価値尺度機能は実際にその分の貨幣を必要としない。有り難いやらむなしいやら。

(秀)