第651話 ■予感

 ガラガラガラガラという音とともに、たまにカランカランカラーンという鐘の音が響く。街は歳末商戦の時期とあって、不景気ながらも多少はいつもより賑わいを見せている。冒頭の音は歳末の福引き抽選会場付近の音である。随分以前、8年くらい前だろうか、蒲田の駅ビルのデパートで5,000円の商品券が当たったことがある。そこのデパートでしか使用できないものの、さすがにこのときは嬉しかった。

 これまでの人生で当たったものと言えばこれぐらいである。これ以外に細かなものとして駄菓子屋のくじなどはあるが、まあこんな感じである。元来、オカルティックなものなど信じていない。よって、くじ運など存在しているなどと思っていない。あれは確率でしかない。「運が良い」とか、「ついている」というのも偶然の連続としか理解できない。

 ところがここ数日はちょっと違う。いや、だいぶ違う。細かなことではあるが、最近かなりの高確率で当たりづいている。例えば、マックのバリューパックを買う度にくれていたスクラッチくじ。6ヶ所のうち1つに商品名が隠れていて、それだけを削ればその商品が貰えるくじである。確率的には6分の1。これを私は6枚中4枚的中させた。続いてはセブンイレブンでのくじ。700円の買い物毎に1枚くじが引けて、当たれば中に書かれている商品がもらえる。当選の出る確率は知らないが、4枚中3枚当てた。そして、会社での当番を決めるあみだくじで8人中一人の当たりを引くこと2回連続。確率的には64分の1である。これ以外でもあみだくじでは当選が続いている。

 まあこれだけではコラムのネタとするにはちょっと恐縮である。この程度では「ちょっと違う」程度の話でしかない。「だいぶ違う」のはこれらの当たりを引き当てるときには必ず予感がするのだ。スクラッチを削るときなどは確信めいたものを感じて削れば必ず当たる。迷うときには必ず当たらない。他のくじでも同様に当たるときには必ずその予感がした。

 さて、会社の帰りに駅などで宝くじ売場の前を通り過ぎる。まだその予感で足を止めることはない。その予感さえあれば即買い求めるだろう。狙うは年末ジャンボ宝くじ。販売は21日までらしい。果たして私に最大の予感は訪れるだろうか?。

(秀)