第84話 ■中華屋の主人

 10年前から約5年間、東京都大田区東雪谷に住んでいた。最寄り駅は東急池上線石川台駅である。池上線と言わないと「横浜のほうですか?」と、石川町と間違える人もいた。家は駅から徒歩7分、うち約5分間が商店街を通る。この「石川台商店街」にはコンビニが3軒、レンタルビデオ屋が1軒。こまごまとした個人商店やスーパーもあり、生活はいたって快適であった。行きつけの中華料理店では「オムライス」とオーダーするだけで、いつもの通り、玉葱抜きのオムライスが作ってもらえた。

 8月の最終日曜日とその前日はこの商店街の夏祭りである。全長約400メートルの商店街が車両通行止めとなり、盆踊りの舞台と化す。約1週間前から商店街のゲートに付けられたスピーカーからは「東京音頭」や「炭坑節」、ついでに「大東京音頭」がエンドレスで流れているため、げっそりするが(昼間も家にいる家人達はさらにそうであろう)、当日になって実際に踊っている人々の顔を見るとやはりほのぼのとしてしまう。

 商店街の人々も日頃とは違った姿をしている。交通整理をする肉屋の旦那。クリーニング屋の若旦那は子供相手の「くじ屋」になりきる。盆踊りの輪の中でひときわ輝いているのが、向かいの酒屋のおばあちゃんだったりする。こんなとき最も野暮なのはコンビニである。いつも通りの商品をいつも通りの値段で商売し、店の前に人垣ができては客が入れないと目くじらを立てている。

 中華屋の主人は店のテーブルや椅子を全部表に放り出している。朱塗りの回転テーブルと仰々しい背もたれの高い椅子をである。人々はそこに座ってビールを飲んだり、かき氷を食べている。中華屋の主人はその横で豪快に中華鍋でアメリカンドックを揚げていた。