第969話 ■地球環境の主

 今日も戦争報道を通して感じたことを。米英軍がイラクで油田を制圧したなどと伝えられ、その映像がテレビで流されていた。油田から火の手が上がっている。中東が舞台の戦争としては極めて象徴的なシーンと言えよう。その映像に対し、アナウンサーが「地球環境への影響が心配です」のようなことを言っていた。まあ、良くありがちな無難な締めの言葉と言えなくはない。

 ところがこの手の「地球環境」という言葉を易々と口に出すことに私は結構抵抗感がある。「地球環境」という言葉は地球が主語であるが、実はそうではなく、人間が高慢にそう言っているに過ぎないからだ。例えば温暖化。しかし、「都市が沈んでしまう」、というのは人間の視点でしかない。地球環境を汚染している張本人は人間だ。それは良い人、悪い人の区別なく、先進国と途上国の差こそあれ、人間に他ならない。

 人類の歴史など二百万年に過ぎない。地球全体の46億年の歴史に比べると2300分の1となる。もっと限定すれば、地球環境が著しく破壊され出したのは産業革命以降、さらに限定すればここ100年とか50年余りと言うのが妥当であろう。ほんのあっと言う間にこれほど破壊が行われたと見るべきだ。このままのペースではいけない、という点では私も同じマインドである。

 例えば人類が失敗し、環境破壊を理由に絶滅するときが来るとしよう。それこそ我々の想像を絶した世界かもしれない。しかしそれで地球の生命が尽きることはおそらくないだろう。ひょっとしたら人類が生存していたのと同じ二百万年程度で地球はまた元の状態に戻るかもしれない。それが無理でも、例え1億年掛かったとしても、それは地球の歴史から考えればそれほど長い時間ではない。

 人間が地球環境に対して何かするのではなく、地球環境を借用し、消費しながら生き延びている、というのが現実的だと思う。おごってはいけない。今後人類の歴史がどれほど続くか分からないが、いくら文明が進もうともその技術で武器に磨きを掛け、殺し合いをしている姿を見ると、そう長くは続かないような気がしてきた。