第128話 ■電波時計 つづき

 自動巻き時計の恐いところは、一旦止まっておきながら、知らぬ間に再動作する事である。どのくらいの頻度でこのような事が起きるのかは分からないが(実際はそう起こる事ではないだろう)、こんな話を聞いた事がある。飲みに行った帰り、時計を見ると「なんだ、まだこんな(早い)時間か」と思ってゆっくりしていたら、終電車に乗り遅れたらしい。例えば、朝その時計を手にしたときに、(気が付かなかったけれど)それは止まっていたかもしれない。腕にはめた時点で動き出し、既に時計は遅れた時刻を指しているがそれに最終電車を乗り過ごすまで気が付かなかった、といった具合かもしれない。本人はそんなことを事を気にするでもなく、彼の腕には日替わりでローレックスやら、何やらが光っているが、私にはそれほど心理的な(もちろん経済的にも)余裕はない。

 朝の通勤途中は電車の中でFMラジオを聞いている。念願の電波時計を手にしてからしばらくは、ラジオから8時の時報が流れる時は自分の時計を見て、その正確さに内心ほくそえんでいた。しかし、しばらくすると時報と合っている事はあまりにも当然の事であるため、そんなことには飽きてしまった。すると今度は時報にあわせて、吊り革に手を伸ばした他人の時計を見るようになった。最初は面白かったが、それで自分の時計の精度に影響が出るわけでもなく、その人に正しい時刻を教えてあげるでもなく、あまりにも不毛である事に気が付き、これも止めた。

 正確な時刻を知っていることと、約束の時刻を守ることはそもそも別次元の話である。生活が規則正しくなったようなこともない。結局、放送局や交通機関に勤務するわけでもない私が、正確な時計を持っていることや、正確な時刻を知っていることで得をした覚えはない。強いて言えば、その特異なデザインから、「珍しい時計ですね」と言われて、二言三言会話が進むことぐらいである。正確であるということより、むしろ時計をあわせる必要がないということの方が自分には有益で、これは精神衛生上極めて良いことに思える。ただ、逆に家中の他の時計のズレが気になったりする。プラマイすると、結果としては精神衛生上良くないかもしれない。家中の、いや世界中の時計が全て電波時計になるまで、この状態は続くかもしれない。その前にこの時計は壊れてしまうだろうけどね。