第2022話 ■もう1つの原点

 私には今の自己表現の原点と言えそうなことが2つある。1つ目は小学3年生3学期のときに始めた「新聞係」。最初は壁新聞で、友人と2人で勝手にスタートしたものだが、担任の先生の追認を得て、クラスの係として活動することになった。そして、5年生のときには謄写版印刷での印刷物となった。文字を中心に何らかを表現したい、という思考がこの頃には既に存在し、それを具体的に実現していたことになる。このことはやがてワープロを得て、活字となり、やがてインターネットでのWebサイトへとつながる。そもそもこの新聞係がなかったら、何かを自己表現したいなどという欲求は開花していなかった可能性がある。

 そしてもう1つの原点はこの「秀コラム」である。そもそも文章を書く心得などなかったものの、会社が発行する広告媒体の編集を行い、空いたスペースにコラムを書いたことがきっかけだ。学生の頃に作文はそれなりに得意だと思っていたこともあり、それとなく書けた。次第にもっとうまく書きたいと思い、通勤途中に本を読むようになった。ただ人事異動でその部署を離れるとともに、その媒体への執筆はなくなった。これで書くことをやめていたら、今の自分はなかったと思う。

 正しくは、異動になった後も寄稿は依頼があって、数回は続けた。一方、異動先の部署で多少時間的にも余裕ができたので、練習のつもりで連日の雑文の執筆を試行した。平日の週5本を目標として、会社のメールを使って、社内外の友人数十名に送信することで始めたのが、1999年4月9日だった。そして21年が過ぎた。

 とりあえず100話を目標にしたところ、4年で1000話達成できた。しかし、そこからはペースが大きく乱れ、断筆宣言を行ったりと、2000話に達したのはスタートから19年後だった。何かを20年、あるいは2000回続けるということは相当なことである。

 スタート時に宣言した、「いつか本を出す」は、秀コラムの原稿ではなかったが、この下地がなければ実現できなかったはず。「本を出す」ことは実現したが「(秀コラムを)本にする」ことはまだ果たせていない(ここでの出版は、自費出版や電子書籍出版を除いた商業出版のことを言っている)。出版市場を見た場合、無名な個人の雑文での出版など困難の極みでしかない。しかしまあ、文章を書くトレーニングとして、秀コラムの執筆を再開した。いずれ何かの機会に役立つことを願って。

(秀)