第2030話 ■存在意義への不安感

 会社勤めをしていた頃の長期休暇。この場合は、会社全体が休むのではなく、個々に連続で1週間ほど休む際のこと。会社はいつものように動いている。勤続年数の区切りによっては、連続で2週間休むこともできた。休暇をもらえるのは嬉しいが、その間の仕事のことがどうしても気になる。別に旅行に行くような趣味もないので、基本的に家に居て子どもと遊んだり、買い物に行くくらいで消化していた。

 休み明けに会社に行くと案の定、仕事が山積みである。まずはこの仕事をどの順番でさばいていくのかを決めるのが最初の仕事。休暇前に代わりでの対応をお願いしていたことも、「急ぎではないらしいので、やってない」とのこと。今風に言えば、「不要ではないが、不急なこと」ということになる。仕事の量にうんざりとしながらもちょっと安心する。自分の居場所があった、と。もしこれが、滞留した仕事がない状態であったならば、「自分は不要なんだ」と不安になってしまうはずだ。

 今般のコロナウイルス騒ぎの終息後、様々な変化、再構築が起きることだろう。「これは不要なんじゃないか?」、と。毎日の通勤は本当に必要だろうか?。長時間残業や中間管理職の職務内容の見直しなど。もし、毎日の通勤が不要となると、徐々に人々の住まいは都心部を離れていくかもしれない。そのほかにもいろいろと考えられる。

 今回の休暇中に、家の中の片づけをしている人も多いだろう。例えばクローゼットを片付ける場合、いらないと思うものをそこから出していくのではなく、まずは全部をそこから出して、本当に必要と思ったものを戻していくのが良い。不要なものを探すのではなく、本当に必要なものだけを残していく方法。

 大型連休はさておき、現況下、休まず(休めず)に通勤を続ける人には、そこに自分の存在意義を求め、自分が必要とされていること、逆に言うこと、自分がその会社において不要とされることの不安が、コロナウイルスに感染すること以上に怖いことかもしれない。

(秀)