第2052話 ■承認欲求と目的論

 誰しも、多少の承認欲求というものがある。家人が何かを頑張った時に「褒めて!」と言ってきたが、それを私は拒絶した。褒めて欲しいというのは承認欲求だ。子どもならまだしも、いい年した大人が、いくら身内と言え承認欲求をむき出しにしてきたことに困惑もしてしまった。

 承認欲求を例えばモチベーションにしてしまったりすることって、他人の判断、尺度で生きているようで嫌であることに加えて、それ故に余計な悩みや問題が発生して、承認によって満たされた以上の不満、ストレスが発生することを知っているからだ。たとえ子供の場合でも、褒められることを常に要求し、大人たちの関心を取り込もうとする。そしていつかそのようなやり方に限界を感じその考えが破綻していることを突き詰められる。それに気付けばまだ良し、気付かない場合のことを考えると他人事ながら怖い。

 このように私が思うようになったのは、アドラー心理学に拠るところが大きい。これまでの常識(と言われるようなこと)に鑑みると、一見矛盾しているかに思えるが、全体で考えると様々なジグソーパズルのピースがパチンとはまったような感じがした。心理学って、いくつかの理論、学説があるけど、いずれが正しいとか正しくないってことではないと思う。

 例えば、原因によってその結果が生じたと一般的に考えるが、同じ原因であっても結果は一様ではない。そこにはその結果を目的とした作用が働いていると解する。アドラーが言う「目的論」である。原因とは別にその人の目的とする意識や行動によってその結果がもたらされているということだ。うまくいかないことの最大の理由は、その原因ではなく、うまくいかないように行動してしまっていたということ。多分、自分がサラリーマンのままだったら共感できなかっただろう。

 こんなアドラー心理学にもっと早く出会えてたら、多少は生き方が楽だっただろうか、それとも実際の生活とのギャップの波に飲み込まれて苦悶していたか、それは今となっては分からない。今さら考えても無駄ってことで。まあ、「原因論」なら後のタイミングとなっては諦めるしかないが、「目的論」なら、後からもやり直しが効く。

(秀)