第2055話 ■フリップ芸

 お笑いのスタイルとして「フリップ芸」というのがある。基本的にピン芸(一人芸)ということがほとんどだ。実はこのスタイル、私はあまり好きじゃない。もちろん、中には面白いものもある。ただ、同じネタが2度笑えることはない。漫才とかは同じネタだとわかっていても、笑えるし、落語なんかはオチが分かっていて当然のところから始まるが、十分に笑える。名人、上手の高座なんか、録音で聞いても笑える。

 落語は聞き手が噺家の語りに合わせて状況を想像していく楽しみがある。ただこのような環境下、無観客での高座のネット配信を行っている噺家が、単に客の反応が分からないだけでなく、「『観客がいる』と想像力を働かせて演じることに、もう何だかわからない。頭が混乱する」って言ってた。それに引きかえ、「圓生百席」はスタジオでの録音。芸事にストイックだった六代目圓生師匠はそんな混乱などなく、粛々と演じていたに違いない。

 話を戻そう。フリップ芸の限界は、芸と言いながら、ネタがほぼ全てであることだ。コントの様に実際に体を動かし演じ、間や客の反応に応じたライブ感が足りない。芸人の技量はネタ作りの良し悪しに凝縮され、そのネタが面白いかどうかは演じる側が別人でもあまり変わらないような気がする。特に無名や新人の場合はそうだ。ただそこには他との差別化となるキャラクターがあった方が有利だ。

 芸道と言われるようなものではなく、噛まずにスラスラと進めることを練習する。ただ、ネタの良し悪しに左右されることは変わらないし、別の人がやってもあまり変わらない状況は続くのではなかろうか?。簡単そうに見えて、1回くらいは当たるかもしれないが、そのスタイルでずっとヒットを続けることは難しい。

 某知事のフリップ芸に「あいうえお作文」。他人がフリップを作り、作文もきっとそうだろう。次第に聞く側も新鮮さがなくなってインパクトがなくなってきてしまった。特に「あいうえお作文」は酷いもんだ。

(秀)