第2064話 ■曖昧なる優位イメージ
和牛と国産牛の違いをご存知だろうか?。こう問い掛けるのだから、これがイコールでないことはすぐにお気付きだろう。では、どっちの品質が良さそうだろうか?。何となくだが、和牛の方が良さそうな気がするのは、私だけではないはずだ。和牛とは、日本の在来種の肉牛のことを指している。日本国内で生まれるとか、育つとかは関係ない。外国生まれの和牛と言うのも、論理的には成り立つ。一方、国産牛は一定期間国内で飼育された肉牛を言う。外国生まれであっても、その後日本に連れて来られ、国産牛と言う可能性はある。現に後者の例は、ままあるらしい。
スーパーなどの精肉売り場で、あるいは飲食店のメニューで、「黒毛和牛」という文字を頻繁に目にする、へそ曲がりな私は「黒毛の方が美味いのか?」と疑問が頭に浮かぶ。そこで調べてみた。あいにく黒毛の方が美味いとかどうかはわからなかったが、和牛の九割は黒毛の品種のもの、という情報を得た。要は「黒毛和牛」とは、「普通の和牛」ということに近く、これで品質の優劣を判断することはできない、ということだ。
「黒毛和牛」という言葉に我々は、暗黙の高品質をイメージしている。ただその裏付けは曖昧で、それを知る人はほとんどいない。そんな言葉、身の周りに他にもあって、無批判にそれを好意的に受け止めていたりしないか?。過日書いた「クラウドファンディング」も美談に乗じて、その上前をはねている仕組みだと私は思っている。そしてやりがい搾取だ。
(秀コラム 第2053話 ■寄付の上前をはねる)
私の他の疑問に、「民主(派)」という言葉がある。某国の「民主派」とか、「民主活動家」などとして使われる。この言葉で、悪の政治体制に対する正義のヒーローの様に伝えられている。よしんば、彼らの主張が正しいとしても、100対0ではなかろう。しかし、無批判に彼らを擁護した報道ばかりだ。実際のところは分からないと思うのだが。よって私は「民主(派)」という言葉を手放しで支持することはしない。
同じような疑問に「社会派」という言葉がある。現状批判や反体制の主張を軸にした立場の人だろう。以前、そのような視点のライターがパーソナリティーを務めるラジオ番組があった。ラジオを点けたまま仕事をしていたので、それとなく聞いていたが、あまりにも分析が希薄。感情的なことが多い。批判のみで対案が現実的でない。世間的にはその程度が良いのかと思ったりしたが、そのうち、その人の言うことが、批判のための批判みたいな感じに聞こえてきて、その番組は聞かなくなった。
漠然と、優れている、と思っていることや、無批判に流されてくる、耳障りの良い言葉にも敏感でありたい。ところで、「黒豚」は味において優れているのだろうか?。
(秀)
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