第2063話 ■資格取得のこれからを展望してみる

 医者に弁護士、税理士、公認会計士、不動産取引に関する資格、などなど。それを生業とする上で、どうしても必要な資格がある一方、「履歴書に書けるので有利」といった資格もある。耳慣れない新たな後者の例が増えているようだが、実際に就職等で有利かどうかは不明。さて、「勉強をすれば、良い学校に進める。良い学校を卒業すれば、良い会社に就職できる」、こんな言葉で尻を叩かれ、勉強をした人、言われても勉強しなかった人。その後の人生、どうだっただろうか?。

 資格取得を目的として、モチベーションを高めていくことは、一見素晴らしいことに思えるが、それを目的としてはいけないと思う。資格取得は手段でしかなく、本来の目的をちゃんとその先に定めておかないといけない。かつての勉強が楽しくなかったのは、勉強自体を目的化されてしまい、その先に目指すものがなかったせいだと私は思っている。親や周りの大人たちも明確な回答を示せず、「勉強をすれば、良い学校に進める。良い学校を卒業すれば、良い会社に就職できる」ことを暗に示すしかできていなかった。実際、どうだっただろうか?。

 「もしも」の願いの先には、自己矛盾が存在している(らしい)。「もしもお金があったら」という人は、お金が手に入っても、きっとその先のことが実現できないと聞く。あいにく、金持ちになったことがないので、願い事はたくさんあるが、その説の成否は未確認。一方、「もしも時間があったら」等言う人も多いと思うが、自宅にいる時間が長い昨今。「退屈してる」って、どういうこと?。願うだけは簡単だが、実行するのは難しいってことだ(諸々に自粛で外的なものができない事情もあるだろうが)。よって、この説の信憑性は高いと推測される。「もしも、勉強していたら」とか、「もしも、資格があったら」とかも考えることは容易いが、その先の願いはどうなのか?。

 資格で飯が食えるような時代は終わり。そういう評価基準が客観的に存在するものほど、その業務はコンピュータに置き換わっていく可能性が高い。しかし、その分野での知識を生かした営業ができるならば、しばらくそのニーズは高まると思う。そこを見据えて、それを目標とし、手段としての資格の獲得を目指す。うーん、ここまでの覚悟でやっている人はきっと少なかろう。逆を言えば、その先での競争率は低いってことかもね。

(秀)