第2074話 ■能動的な幸せの基準を

 ブータンという国は国民の幸福度が非常に高い国だと聞く。GDPとかで言えば、日本に遠く及ばないと思うし、スマホとかもないんじゃない?。実際に豊かな生活を知らないから、現状で満足して、幸せを感じているだけじゃないか、とか思う。しかし、スマホがあれば豊かとか、物質的な豊かさがあれば幸せだと思っている我々の思考の方が必ずしも正しいと限らないとしたら?。

 日本人の多くが今では、かつての王子様以上の快適な生活を送れていると、アイスクリームを食べながら思う。衣食住いずれにおいても快適だろうし、娯楽については格段の差がある。移動の手段や自由。そう、自由はまるで空気や水のように自然に存在しているような時代。価値観も以前に比べるとかなり多様化したように思えるが、大半において、肝心の幸福に関する指標、考え方はずっと変わらないまま。それはお金であって、良い学校を出て、良い会社に入ることだったりする。

 マスコミは受け手の消費や購買を促すことで成り立ち、スポンサーのための情報を流す。視聴者よりもスポンサーの方がお客様なのだから。物質的な豊かさが幸福の主軸なような価値観をずっと流し続け、受け手はそこに違和感すら感じなくなってしまっている。

 お金があれば大抵のものは手に入る。しかし、どうしても金銭では手に入らないものがある。健康、時間、それに信頼とか友情とか。家族とか、人格とかもそうだろう。人によってそれぞれ違って当然であり、測ったり数字をもって比較できる要素ではない。確かにお金はあった方が良いが、もっと他に新たな基準を見つける必要があって、しかも自主的・能動的に、できるだけそれに早く気付く方が幸せを実感できる可能性が高いような気がする。

 1つのヒントとして、子どもの頃は不安やストレスがなかったので、毎日が楽しかった。定年等により組織等からのしがらみから解放されることで、改めて自己の価値基準や幸福に対する考え方を再構築してみると良い。自分は会社勤めを辞めたら、性格的にちょっと小中学生の頃に戻ったような感じがして、そしたら、友達に会いたくなって、同窓会(同期会)の幹事に手を挙げることになっていた。

(秀)