初めて浅草に行ったとき、テレビなどで何度も見た、あの雷門を目指して行くわけだが、それはちょっと意外な現れ方をした。と言うのも、雷門の前方から遠目にそれを見て、徐々に近づいて行くものだと思い込んでいたがそうではなく、地下鉄の駅を出て、人波に付いて目的地を目指すと、正面ではなく、右手前方にその姿を現し、最終的には垂直右に位置する。「思ったよりも小さい」なんてことはないが、この現れ方は予想外だった。

 それでもあのシンボリックな提灯の姿には気分が高揚する。そして仲見世を奥に進んでいく。この浅草寺はある種特殊なスポットだと私は思っている。徐々に気分が高まっていくような場所ではなく、雷門の地点で気分は急速にピークに達し、仲見世で多少のお楽しみはあるものの、この気分は次第に減衰していき、再び復活することなく、参道を通り抜け、浅草寺の境内に達する。いきなりサビで始まった曲の様だが、再びそのサビが繰り返されることはない。

 昭和の前半まで日本一の歓楽街であったこの街が衰退していった理由は、昭和33年に「吉原」が表向き、その機能を失っただけではなかろう。最近読んだ本にとても興味深いことが書いてあった。浅草が娯楽のスポットとして、他の何処かに競争で負けたわけではなく、その街の娯楽の要素がそっくりと、テレビに取って代わられたとの主張である。テレビに負けたのだと。確かにタイミング的な信憑性はありそうだ。

 もしそうだとしたら、結果としてそうなったわけでなく、当時のテレビ人がそういう形でテレビ番組やテレビ文化というものを作っていったとしたら、私はむしろ、そのことにも興味が湧く。「温故知新」、きっとこの街には次の時代のタネがありそうな気がする。

(秀)