「セロリ」の歌詞にあるような、「育ってきた環境が違うから」ではなく、その原因がそれぞれの脳の構造の差にあることに気づき実感してきたのは、50年生きてきて、ここ数年のことである。もっと早く気がついていたら、様々なコミュニケーションロスも回避できていたかもしれない。

 会社勤めをやめて、家にいる時間が長くなると、家人と一緒にいる時間が格段に増えた。お互いの会話も増えた。ただ、一緒にいる時間が長いことがやがてお互いのストレスになっていく。定年退職した夫婦によく見られる風景が、我が家には十数年早くやってきた感じだ。四六時中一緒にいると会話に困る。どうでも良いような話を聞かされる。しかも、テレビのワイドショーとかでやっているようなネタとかで、薄いし、自分は興味がない。あるいはネットで先に知っている。やがて、私は自室にいる時間が増え、外出も以前の様に、ほぼ単独行動となった。適度な距離感が大切であることを学んだ。

 女性からの相談事の全てに真面目に回答をしてはいけないらしい。相手は話すことが目的で、答えなど求めていないケース。ちゃんと答えても喜ばれない。逆に期待に反する答えで不機嫌にさせてしまうこともある。かと言って、ほとんど反応せずに適当に流していると、怒られる。残念なことに、このあたりの判断能力はまだ修得できていない。

 逆にこちらから質問する場合、「なに?」、「なぜ?」という問い掛けに直接的な答えを返してくれることがない。「なに?」と聞いたら、「これ、この前テレビでやっていてね、...」と周辺情報の説明から始まる。「聞かれたことをまず答えろ」と言って険悪な雰囲気になる。あれ?!、何だか当コラムの前話に出てきたような話題。

 長い付き合いなのだから、いい加減察してくれないものかと期待したこともあったが、それが脳の構造の差によるものらしいと分かってからは、しょうがないかと、多少割り切ることができるようになった。お互い様なのだろう。ある本には、異性は全く別の生き物という感じで接した方が良いなんて表現もあった。例え、おばさんがおっさん化していこうと、脳みその構造は変わらないらしいよ。

(秀)