第1095話 ■イブの悲劇

 今宵、クリスマス・イブ。山下達郎は今年も「クリスマス・イブ」のCD販売の印税やカラオケや放送で使用される権利だけできっと私の年収ぐらいは稼いでしまうことだろう。うらやましいやら、悔しいやら。そんなことを思っているうちに電車は自宅の最寄駅に着いた。改札付近はいつも以上に待ち合わせの人々であふれている。それに臨時に設けられたケーキやお菓子ブーツの売り場に人垣ができていた。

 さて、ここからの話の主人公はサラリーマンのAさん。この日はいつもより随分早いご帰宅である。しかしその前に駅前のケンタッキーでフライドチキンを買って帰らねばならない。遠目に見ても店の前に入りきらない人々が行列をなしている。予約などしていない。行列の最後尾に並びながら、店員に聞いてみると「ご予約のない方は30分待ちです」と言われた。

 そんなとき、Aさんの携帯が鳴った。「もしもし、パパ。いまどこ?。チキン買った?」。幼稚園は年長組の長男からだった。「ああ、今店に並んでいるよ。買ったらすぐ帰るから」。しかしさっきから行列はいっこうに進まない。それどころか、カウンター付近から人の罵声が聞こえてくる。何やらドジな店員が予約客の商品を間違えて他の客に売ってしまったらしい。それも半端な量のオーダーではなく、「すぐに何とかしろ」と怒鳴る客にその店員と店長らしき人が二人掛かり詫びている。貴重な二人の労力が取られてしまっていては捌けないわけだ。

 また、Aさんの携帯が鳴った。「パパ、まだー?。おなかすいたよー」。「分かった。すぐだから。いい子で待ってるんだよ」。Aさんは電話を切ると、行列に見切りをつけ、駅の方へ戻った。途端にケンタッキーの行列が進み始める。先ほどのうるさい客が両手に荷物を抱えて店から出てきた。しかし、今から行列に戻ると、さっきよりも随分後ろになってしまう。やむを得ず、駅に戻る。

 駅では臨時のケーキ売り場の横でフライドチキンも売っていた。こちらはほとんど待たずに買うことができる。揚げたての温かさやあのにおいはないものの、約束のフライドチキンを買うことができて何とかAさんは落ち着いた。しかし、電車が駅に着いてから既に30分以上経過していた。そのチキンを抱いて家路を急ぐAさん。

 自宅に帰りつくと自分に飛びついて来てまで喜ぶ息子を見て、「たまにこうやって早く帰って来るのもいいなあ」と思うAさん。「ねえ、パパ。チキン買ってきた?。チキン?」。「ああ、買ってきたとも」と、ビニールの袋をバサバサと揺らして見せる。「ワーイ、チキンだ。チキンだ」。袋を奪い取ると彼は奇声とともにリビングへと走って行った。

 やや遅れてリビングにたどり着いたAさん。しかしちょっと雰囲気がさっきと違う。「ケンタッキーじゃない」。そう言うと息子はベソをかきながら、Aさんに向かってきた。駄々っ子となって、両手のこぶしで太鼓を叩くような格好で迫ってくる。「ケンタッキーは売切れだった」と言い訳したが信じてもらえない。正直に「人が多くて買えなかった」と言っても機嫌はおさまらない。

 仕事の残りが気になりながらも、たまに早く帰ってきたにも関わらずこんな仕打ちである。ついに堪忍袋の緒が切れたAさん。「そんなにケンタッキーのフライドチキンが食べたいか!!」。隠しておいた息子へのクリスマスプレゼントを引っ張り出し、窓からそれを放り投げると、それは綺麗な放物線を描いて暗闇に消えていったとさ。

(秀)