第1240話 ■古文なんかいらない

 子供たちの試験勉強を見ながら、その結果に一喜一憂しているが、人生の尺度から考えればそんなものは微々たることでしかない。特に職に就いてからは学校で勉強したことなどあまり役に立たない。しかし、良い(と言われている)学校や良い(と言われている)会社に入るためにはその後に役に立たないことだろうと、それに取り組むしかない。取る側もこの先本当に必要となる能力の適正が分からず、その後に役に立たないことの多い、成績で判断するしかない。お互い不幸なことだ。

 受験科目ではないけれど、美術のセンスは結構重要である。いわゆる絵心というやつが資料を作成する上で重宝される。ものごとを視覚化する能力なんて一般に成績では測れないが、サラリーマンには貴重な素養の一つである。もし、私が人事担当者ならば入社試験の際にはそういった能力を選考の軸にしたい。知識は必ずしも重要ではない。

 逆に社会では全く必要ないのに学校では熱心に時間を割いて教えている科目がある。古文だ。これは無駄でしかない。そんな暇があったら、現代国語や英語を勉強しておいた方が十分役に立つ。古文とか漢文なんて科目はなくしてしまっても良いと思う。受験のためだけに存在しているに過ぎない。嫌がらせとも言える。必要な人だけが趣味でやればいいんだ。

 子供たちは中学校で百人一首を覚えさせられているようだ。私も高校のときに全部覚えたはずだが、その後振り返ることもないため、今はもう数首しか覚えていないし、上の句と下の句がでたらめになってしまう。その程度のものに青春の大事な時期に授業や試験勉強という形で多くの時間を費やしていたかと思うと遺憾に思う。見直しを望む。

(秀)