第1298話 ■昭和最後の日

 とりあえず、昭和64年はやってきた。そして、昭和64年(1989年)1月7日。年明けからわずか一週間のこと、この日は土曜日だった。大学四年で卒業を間近に控えていた私は、年明け早々風邪をひいてダラダラした数日を送っていて、この日も朝から病院に行く予定になっていた。

 前年の9月19日の吐血による容態悪化から、毎日、体温や脈拍数、それに出血の有無を伝えるテレビスポットが何度も流れ、NHKではその日の放送終了後に皇居の映像が流されるようになっていた。日産セフィーロのCMでは井上陽水の「みなさん、お元気ですか?」という台詞が口パクとなってしまった。昭和63年の年末と64年の正月はそんな自粛モードの雰囲気で過ぎて行った。このときのもう一つの世間の関心事は消費税の導入を巡る、国会の動きだった。

 朝からテレビでニュースを見ていたら、「間もなく宮内庁長官より発表があります」と伝えた。いつもの病状の発表とは違い、長官自らが発表を行うとあって、ことが非常に重大で、天皇の死を伝える発表であろうことは容易に想像できた。天皇崩御は午前6時33分。そして、この発表は記録によると午前7時55分からだったようだ。このシーンを私はテレビでリアルタイムに見ていた。

 「天皇陛下崩御」の文字が画面に大映しされ、それ以降、テレビ番組はCM抜きの特別番組になった。何度も何度もこの宮内庁長官の会見を繰り返し流し、スタジオではアナウンサーがこの重大事を繰り返しなぞった。このXデーを巡っては事前にテレビ局間でルールが決められていて、崩御の発表が朝の6時以前であれば2日間、それ以外の場合は3日間、CM抜きの特別番組を各社で放送することになっていたらしい。しかし、結果としては2日間でこの非常態勢は解消された。

 とりあえず、病院は平常どおり診察を行っていて、家に戻ってきてから、またテレビを点けた。粛々と皇太子の践祚(せんそ)の儀式が進められ、テレビが今度はこれを繰り返し流した。一通りそれが終わると、テレビで伝える情報の関心事は新しい元号のことが中心となった。小渕内閣官房長官が「平成」と書かれた額を示して新元号を告げたシーンは印象的だった。それに引き換え、午前中に発表された竹下首相による総理大臣謹話の印象はすこぶる薄かった。

 テレビが報道特別番組一色になったため、退屈した人々が大量にレンタルビデオショップに行って、これらの店が大繁盛したことも報道された。この報道が退屈な人々をよりビデオショップに走らせたかもしれない。一方、街頭で人々の声を集めているシーンがあり、記者が小学生に向けて「明日から新しい時代になるけど、何か知ってる?」と聞いたところ、その少年は「3学期!」と答えた。

 ただこんな感じでテレビの報道を見守りながら、昭和最後の日は過ぎて行った。昭和は遠くなりにけり。

(秀)