第1486話 ■模擬裁判

 昨日の光市母子殺害事件の差し戻し控訴審判決。私の予想通り、極刑が下された。「量刑が軽すぎる」ということでの最高裁からの差し戻し審であるため、この最高裁の判断が影響するのは当然であろう。また、どのような判決が出ようとも、検察側、弁護側のいずれかが不服を申し立てるのは当然予想された。よって弁護側からの上告により、この裁判の決着は再び最高裁に委ねられた。

 最高裁は基本的に法律の解釈や判例を変更する場合、それに判決に影響が出るような新証拠がある場合に裁判を行うもので、何でもかんでも上告されたからと言って、裁判を行うわけではないそうだ。このため、裁判のやり直しを下級審に差し戻すことになる。前回もこの裁判が上告された際に、最高裁で裁判を行って判決を出していたならば、それで刑が確定していたものの、差し戻して、再び上告という面倒くさいことになった。結局、もう一度最高裁が判断を下すことになったが、その際は「上告棄却」という結論になるだろう。

 さて、今回の光市母子殺害事件の判決の解説で、永山則夫事件のことを引き合いに出していた報道が何件もあった。この永山則夫事件にはちょっとした思い入れがある。そもそもこの事件は当時19歳の少年だった永山がピストルで4人を連続殺害した事件である。少年でありながら、犯行累積の抑止と逮捕のために指名手配されたこともあり、当初から実名報道がなされた。一審は死刑、二審が無期懲役となった。これら裁判の争点は未成年者への死刑の適用が妥当であるか?、被告の反省・更生をどう評価するか?、被告が育った環境と犯罪の関係、だったと思う。

 私がこの事件・裁判に対して思い入れがあるのは、この事件を扱って、中学校の社会の授業で模擬裁判を行ったからである。私は検察官の役だった。丁度、永山則夫事件の上告審開始が決まった頃だったと思う。先生がそのことを伝える詳細な記事のコピーを配り、私はこれを元に起訴状を書いた。この頃から私には今につながる裁判(傍聴)好きの片鱗があったようだ。上告審は検察側から上告されたもので、死刑を求めており、私もその立場から同様に死刑を求めた。

 模擬裁判の弁護側の主張は「責任能力がなかった」だった。実裁判ではそのような話は出ていない。責任能力がなかったことを実証するでもなく(、そんな事できるわけもないが)、言ったもん勝ちの、実に卑怯な手だった。そして、模擬裁判の判決は無期懲役となった。「素人はこれだから困る」と思った。

 それから8、9年経って、模擬裁判のことは忘れていたときに、永山則夫事件の上告審判決が出て、死刑が確定したことを新聞で読んだ。「やっぱりあのときの自分は正しかったんだ」という思いが浮かんだが、気分が良いものではなかった。永山則夫は既に死刑が執行されている。

(秀)