第1851話 ■金ちゃんうどん

 「あれ、美味かったよな~」という記憶が誰にでもあるかと思う。実は私のそんな記憶は、ことごとく郷里にあって、思いついたから、車や電車ですぐにでも、と言うわけにはいかない。今でも帰省する度に食べたいものが、4つあって、一度の帰省でこれら全てをこなすことはなかなか難しいが、その店がまだ続いていることを確認しながら、一旦そのタイミングで、食べたいという願望をリセットして、店を出た瞬間に次に食べられる日までの、見えないカウントダウンがまた始まる。

 一方で、その店がなくなってしまっていて、どうしようもない場合もある。それが私にとっては「金ちゃんうどん」である。過日ここで書いた、日峯さん=松原神社の近くにあった、うどん屋である。もはやこの店はないし、実はいつなくなったのかも、記憶できていない。中学生の頃には既になかったような気がする。少なくとも、自分一人や友達連れで飲食店に出入りするようになった頃にはもうなかったと思う。

 このうどん屋に行っていたのは、実に幼い頃だった。日峯さんや銀天夜市(市の中心の当時アーケードのあった商店街で、夏場土曜に開催されていた夜市、松原神社の直ぐ側に商店街の入口があった)の帰りに、母親とうどんを食べて帰った思い出がある。店は奥に長く、中央が厨房で、グルリと一周カウンター席になっていて、40席位あったのではないかと思う。

 今思えば、かけうどんだった。決まって、かけうどん。一杯のかけそばならぬ、一杯のかけうどんを小分け用の容器をもらって、母と分けあって食べた。それと、ゆで玉子。

 「美味かったな~、もう一度食べたかったな~」と思っても、もはや叶わない。美味かったという記憶はあるものの、どんな味だったかを残念ながら、ほとんど思い出せない。ただ、麺は九州のうどんとしては珍しくコシがあって、角が立っていたような気がする。そんなうどんには、その後出会えていない。

 人の記憶ってその程度なのか?、そうかも知れないし、料理人とかだと、きちんと記憶できるのだろうか?。しょうがない、小学校に上る前の記憶なのだから。実は本当に美味かったかどうかも、懐かしい思い出によりかなり後付している可能性もある。いずれにせよ、もはや確認のしようがない。あっ、しんみりなったけど、母親は健在です。

(秀)