第1976話 ■携帯電話の無粋

 私見ではあるが、世の文化的な活動のピークは1980年代だったと思っている。機械技術の進歩で、デジタルによる様々な表現手法はその後に開発されたわけだが、その当時に精一杯の知恵を絞っていた様子や、既に全てのものは出尽くした感があったりして、このような思いに至っている。テレビも映画も音楽も、その他諸々まで。もちろん、世情のエネルギーも重要な要素で、それらが文化の発展を大きく支えているのは、これまでの歴史を見れば明らかである。

 映画もドラマも面白かった。昨今のドラマは消耗されて終わりと言う感じが強いが、80年代頃のドラマはタイトルを言えば思い出す人が多いような作品が数多く生まれた。音楽においては、70年代からの流れで、この頃までは誰もが知っているヒット曲というものが毎年現れ、年末の賞レースでもおおかたの満足のいくような選出が行われていた。

 ドラマでも映画でも、当時は携帯電話などないから固定電話が主流。トレンディードラマとなると、ワイヤレスの受話器が登場するのがお約束だった。それが今ではどうだろう。携帯電話・スマートフォンでの会話のみならず、LINEやそれを模した画面までが登場して、そのやり取りを視聴者に見せる。見る側の想像力を欠く、安直な演出にしか私には思えない。

 想像してみる。今の時代に小津安二郎監督が生きていたら、その映画の中で携帯電話やスマートフォンを使っただろうか?。渥美清氏がもし生きていたら、山田洋次監督は寅さんに携帯電話を持たせただろうか?。いつもどこにいるのか分からずに、旅の空から葉書が届いたり、赤電話から十円玉を投入しながら電話を掛けてくる寅さんだから良い。携帯やスマートフォンがなかったためのすれ違いやもどかしさが、かつてのドラマや映画を見る時の楽しみの一つ。

(秀)