第313話 ■ケータイの心理

 これまで、本コラムでは「携帯」と表記してきたが、今回は敢えて「ケータイ」と表記したい。ケータイが大きく普及した原動力は、「いつでも、どこでも」といった、まさに携帯性が評価されたためであることは疑うまでもない。しかし、それだけの理由ではやや説得力に欠けるところがあると私は思う。そのもう一つの大きな要素とは「個人の電話」という側面である。これは単に携帯できる個人所有でない電話を想像すれば良く分かる。会社で社用に購入した備品の携帯電話数台を数人(電話の台数より多い)で使い回していた(外出する人が持って行く。いつも決まった携帯とは限らない)ときは、結構不便であった。

 さらに、現実には存在しないが、仮にこんな設定を考えてみた。「みんなが持ち歩いているケータイが実は家庭用電話のワイヤレス子機だったら」。プルルルルー、プルルルルー。「はい、もしもし」。「(やばっ、オヤジ出ちゃったよ)」。「もし、もし」。「あのー、○子さんはいらっしゃますか?」。彼女への電話に親父が出てしまった。「君は誰なんだ?、娘とはどういう関係なんだ?」。「—–(無言)」。ガチャン。たとえ、通話料が3分10円であろうと、家族での内線通話でタダになろうと、これでは普及への道程は遠い。

 やはりケータイは必ず本人が出る電話でなければならない。掛ける側は相手本人が出るものと思って掛けているし、受ける側も発信者通知で相手が分かることで、この関係は成り立っている。親父が出ない、奥さん(旦那)が出ない電話。ケータイを忘れて外出したときに、その不便さよりも自分の秘密を家に置き忘れたことに不安を感じた人も少なくないだろう。便利な「リダイヤル」機能も、ときとしては危険な証拠として置き忘れられていたりする。