第481話 ■首相公選制について

 森首相の支持率低下とともに、にわかに「首相公選制」なる言葉が注目され始めた。折りからの政治不信もあり、政治への参加意識を高揚させる手段として効果があるのは事実だろう。支持率一桁台の首相が国会で信任されるのは誰の目にも不自然でしかない。既に、近い将来の首相公選制実現に向けて活動を行っている団体(「首相公選の会」)もあると聞く。

 もし首相公選制をこの日本に持ち込むとすれば、まず憲法を改正しなければならない。第96条には両議院で議員数の三分の二以上の賛成の後、国民投票で過半数の賛成が必要と規定されている。与野党の枠を越え、国民の多数が賛同することが果たしてこの先あるのだろうか?。まずはこの点が大きな障害となる。

 実際に国民が総理大臣を選ぶとなると、政治基盤が脆弱になることが予想される。各地の知事選挙で無党派の候補者が当選したりしているが、あのようなことが国政レベルで起きるとなると、いろいろと困った事が起きてしまう。「ダムの建設を中止します」や「銀行に外形標準課税を適用します」とぶちあげたら、自民党が黙っていない。また、「不良債権処理に公的資金を導入しません」、なんてことは国民の支持を得るかもしれないが、それ以上に世情の混乱でそんな支持も暴動となって打ち消されてしまう。第一、議会に支持基盤がない状態では議会運営もうまくいかない。そんなときは「解散!」ってやってしまうのかもしれないが、混乱や政情の不安定は加速する場合もある。

 いざ、公選制になると田中真紀子や小泉純一郎、それに菅直人あたりが選ばれるのか。石原慎太郎、極端な例では長嶋茂雄など、単なる人気投票になる恐れもある。横山ノックが府知事になった事を思えば。国民からの直接選挙で選ばれたとなると、内閣が国会に連帯して責任を負う必要はなく、首相とは名ばかりで実際は大統領である。もちろん、その権力は強大である。ここで、もっと大きな問題にぶちあたる。天皇制との関係である。王制と大統領制が同居している国家はない(はず)。太平洋戦争後にもし国体が変わっていたら、日本も大統領制になっていたかもしれない。

 この問題は単なる法的な手続きだけでなく、日本人のイデオロギーの根幹に関わる問題であることを踏まえた上で、賛否を論じて頂きたい。ましてや支持率の低い首相や政治不信の対抗策として論じるのは議論のすり替えのような気がしてならない。

(秀)