第583話 ■ケーキの端切れ

 私の実家の4軒先に佐藤さんという家があり、そこはケーキ工場であった。ケーキ工場とはやや大袈裟かもしれない。当時の見掛けはちょっと間口の広い、普通の家だった。ガラガラと戸を横に開けると、土間にはライトバンの車が止まっていて、奥の方から甘い匂いがして来る。「ごめんください」、「ケーキの端切れください」。匂いがして来る扉の向こうがケーキ工場である。

 ケーキの端切れとは、ロールケーキの両端をカットした時の耳のことである。暫く後に佐藤さんの家は改築して道路に面した部分に店を作り、カステラやケーキをそこで販売するようになったが、当時はそこでケーキなどの販売はやっていなかった。あのたくさんのロールケーキは、きっとどこかの委託で作っていたのだろう。このため、佐藤さんところのケーキの端切れはよく食べたが、肝心の本体は食べた記憶がない。

 おじさんかおばさんに50円渡すと、作業台の片隅に無造作に置かれたロールケーキの耳をビニール袋にたっぷり入れて、それを新聞紙にくるんで渡してくれる。見た目はどうであれ、さっきまではロールケーキの一部分を構成していたのだから、パンの耳と一緒にされては困る。スポンジの生地もクリームも良い感じに幾つかの種類がミックスされている。何種類ものロールケーキをちょっとずつ食べているのと同じである。「ガリッ!」とザラメ感のある砂糖の混ざったクリームが最も好きだった。クリームの付いた指を舐め舐め、子供には至福の昼食である。もちろん、食べきれないのでおやつにもなって、一日中食べていた。

(秀)