第669話 ■お年玉

 さて、またお年玉について一考。

 元旦、子供たちは私が起きるのを、今や遅しと、いつになくおとなしく、良い子で待っている。今年は新年の挨拶とともに、「ハッピーアイスクリーム」を狙っているようだ。顔があっただけで、笑みがもれている。朝風呂へと向かう。元旦の朝風呂は銭湯通いの頃からの習慣である。きっと実家の親父も同じ事をしていることだろう。正月は非日常なのだから、いつもと違うことをやらねば。

 風呂をあがると食事の用意ができていた。席につき、子供たちにお年玉をあげる。わずかな額でしかないが、子供たちには嬉しいようだ。ここ数年、正月に帰省することはないので田舎からのお年玉は前日までに送られてくるか、立て替えて渡しておくことになる。

 ところで、お年玉はいつのタイミングでもらうものか?、あげるものか?。「あけましておめでとうございます」と挨拶した直後に、「はい、お年玉」といってもらうのが普通だと思っていたが、今回家族そろって親戚のところに行った際には、そうでなかった。元気良く、「あけましておめでとうございます」と挨拶したものの、相手は「はい、おめでとうございます」と言っただけ。子供たちは横目で私の方を見ている。結局、帰る間際になってもらえて一安心。

 この親戚の家には結婚を控えた年頃の、妻の従兄妹がいる。年齢的には私がお年玉を渡す必要はない。しかし、私の子供たちは彼らからお年玉がもらえる歳関係である。しかし、もう数年すると、彼らにも子供ができて、それと入れ違いに私たちの子供はお年玉をもらえる年頃ではなくなるだろう。そしたら、たぶん家族そろってその親戚の家に年始参りに行くことはなくなるだろう。

(秀)